青空の下、真白のシーツを広げる。風に乗りひらひらと揺れる洗濯物を見て、サニャは満足そうに微笑んだ。
「よし、今日のお洗濯終了!」
次の仕事はなんだっけと記憶を辿っていると、同僚が慌てたように駆け寄ってきた。
「サニャ! 大変、あんたんとこの主人が、乱闘騒ぎ起こしたって!」
「え、レハト様が!? 誰と!?」
「王子! なんか言い争ってたみたいで、そこから殴り合いになったみたい。寵愛者様はさっき部屋に運ばれて行ったよ」
その言葉を受けて急いでレハトの部屋へと向かう。
部屋に運び込まれたということは、怪我をしたのだろうか。レハトはまだ子供だ。成人相手との喧嘩ならば、大きな怪我をしているのかもしれない。
焦りながら部屋に駆けつけると、ローニカに小言を言われながら包帯を巻かれているレハトの姿が目に飛び込んできた。
「あ、サニャ」
「レハト様、大丈夫でございますですかっ!?」
荒い息の合間からそういうと、レハトは大丈夫だというようにひらひらと手を振った。
「ちょっと血が出ちゃっただけだよ。こんなの、すぐに治るよ」
腕の包帯以外は彼は普段通りに見えた。本人が言うようにその怪我もすぐに治るだろう。
ほっと息をつくと、ローニカの諌める声が聞こえた。
「レハト様。今回はたまたま軽症で済みましたが、大けがをしていた恐れもあります。今後、このようなことは謹んでください」
「はい。心配かけてごめんなさい。もう、あんな嫌な奴に二度と近づかないよ」
喧嘩の相手を思い出したのか、レハトの顔が曇る。
レハトは活発な人ではあったが、人と喧嘩をするような性格ではない。それなのに殴り合いとは、一体何があったのだろうか。あの嫌味たらしい王子のことだ、レハトのことを貶したのだろう。
「サニャ、レハト様にお茶を」
「あ、はい。すぐに用意いたしますです」
何のお茶がいいだろうか。言い争いをして喉を痛めているだろうから、刺激の少ないものがいいだろう。
お茶と焼き菓子を持って来ると、さきほどまでふてくされていたレハトの顔が輝いた。
「わ、おいしそう! そのお菓子初めて見るや!」
「はい、この間市で見かけて買ってみたんです。北の方のお菓子らしいですよ」
レハトの前とその向かいの席にカップと皿を置き、待ちきれなくてうずうずしているレハトの前に座る。
主人と使用人がともにお茶をするなど、あまり褒められたことではない。使用人はあくまで仕える立場であり、食事はお茶は裏でこっそりととるのが常識とされていた。
けれど、レハトはサニャたちと一緒にお茶をすることを好んだ。一人でお菓子を食べるのなど、味気ないと。
だから彼にお茶を淹れる時は自分の分も用意するのが、レハトの使用人の間では当たり前となっていた。
こうしたレハトの行為に眉を顰める貴族もいる。けれど、サニャは自分たちに分け隔てなく接してくれるレハトが好きだった。彼とこうしてお茶をするのは、サニャの楽しみでもあったのだ。
初めての部屋付きで緊張したが、彼のような主の元で働くことができて、幸せだ。彼の為に尽くせるのは嬉しかった。
「これおいしいね!」
「レハト様のお口にあってよかったです。また見かけたら買ってきますね」
おいしそうに食べる彼を見ているだけで、こちらも幸せな気持ちになる。
「ああ、おいしいなぁ! ローニカの前ではああいったけど、僕さっきまでタナッセ見たらまた殴りかかってしまいそうだったんだ。でも、その気持ちも落ち着いたよ」
「……そういえば、喧嘩の原因ってなんだったんですか?」
触れていいのか迷いながらも、問いかけるとレハトは気まずそうに眼をそらした。
「ちょっと……僕の好きなものをあいつが馬鹿にしたんだ。だから、許せなくて」
「あの方はなんでも上から物を申されますからね。もう無視しちゃうのがいいと思いますですよ」
その後はレハトが今日見た鳥のことや洗濯物の頑固な汚れがようやく落ちた話などをして、お茶を楽しんだ。
その姿を見かけて体が強張ったのを感じた。
一瞬別の道を行った方がいいだろうかと思ったが、使用人の身でそのような無礼な行為はできない。
自分と彼は顔と名前を知っているだけで、碌に話したこともないのだ。大丈夫。このまま何事もないように通り過ぎればいいだけの話。
「――おい、サニャ・イニッテ=コノラ」
なのに、何故呼び止められてしまうのか。
身構えながら応答すると、鼻で笑われた。
「なんだ、その返事の仕方は。主が主ならば、使用人も使用人だな」
嘲りにカチンとくるが、ぐっとこらえる。ここで自分が不快感をあらわにすれば、レハトにまで被害が及ぶかもしれない。
「まあ、あのような田舎者の主であるのならば、その下につくのもその程度であるのは当然か」
自分が嘲笑されるのは、わかる。言葉遣いもおかしく、仕事もまだ遅く不慣れなのだから。
でも、レハトを侮辱されるのは許せなかった。彼は田舎育ちかもしれないが、神に愛された存在だ。貴族たちが己の生まれでいばるのに、何故寵愛車として生まれたレハトをここまで軽んじるのか、理解ができなかった。
そんな気持ちが顔にでていたのだろう。タナッセはサニャを見て、眉を顰めた。
「言いたいことがあるのならば、何かいったらどうだ? サニャ・イニッテ=コノラ」
「……何も、ありません」
ここで言い返して衆目を集めれば、レハトが来てしまうかもしれない。この状況で彼がくるのは避けたかった。
彼はサニャの返答にあきれたように、やれやれと首をふった。
「ああ、そうだ。お前の主に言っておけ。本当のことを言われたからと言って、すぐに手を上げるなと。いくら礼儀を知らぬ田舎者とはいえ、あのような粗暴な行動はみっともない」
「…………」
穏やかなレハトが手を挙げた理由がよくわかった。彼は紡ぐ言葉すべてが相手を愚弄する言葉ばかりだ。
「田舎者とはいえ、あんなのでも一応は寵愛者だ。少しはその自覚を持つべきだ。いつまでも田舎者のつもりでいるから、使用人などを貶されて怒り狂うのだ」
「え……?」
「なんだ、知らなかったのか。お前を田舎者くさいと言っただけで、あいつは私に手を挙げたんだぞ。本当のことであるのにな」
初耳だった。レハトは自分のためにあれほどまでに怒ってくれたのか。
呆然としているサニャに興味を失ったのか、タナッセは二三何かを言ったあと、去って行った。
その場から動かないサニャに元気な声が呼び掛けた。
「やっほー、サニャ。仕事中?」
にこにことこちらに手をふるレハトの腕には白い包帯が巻かれている。
「もし今時間があるなら、遊ばない? あ、遊ぶっていってももう木登りとかはしないから、大丈夫だよ。ここの服高いから、もう破きたくないんだよね。 ちょっと散歩をするだけだよ。いい天気だから、人のいないところでちょっと昼寝もできるよ! あ、そうだ、さっき食堂でお菓子貰ってきたんだ。一緒に食べ よう」
持っていた袋から、小さな焼き菓子を取り出す。まだ冷め切っていないのか、甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「レハト様……」
「ん? あ、ごめん。やっぱり仕事中? それともこのお菓子あんまり好きじゃない?」
だったら違うのもらってくるよと踵を返しかけた彼の腕をとる。
「サニャは……サニャは、とても好きですよ」
貴女のことが。
レハトはサニャの告白に気付かず、嬉しそうによかったと笑った。
***
サニャが控室で今日出す予定のお菓子を準備していると、扉のほうが何やら騒がしくなった。
何事だろうと控室から顔をだすと、タナッセが何事かわめきながら室内を横断しているのが見えた。あれだけレハトに礼儀作法をうるさく言っていた人がこんな無礼な真似をするのかと驚いたサニャは、次の瞬間固まった。
タナッセの腕の中にはレハトがいた。彼は意識を失ってぐったりとしており、その顔には生気がない。
最悪の展開が頭をよぎり、背筋が凍った。
ローニカは急いでレハトのベッドを整え、タナッセが慎重にレハトの体を横たえる。
「――サニャ、看病の準備を。私は医者を呼びにいってきます」
ローニカの焦った声色に、ようやく体が動いた。急いでお湯をわかし、ボールに水をつけて布を浸す。お湯がわくまで時間があるので、レハトの傍により容態を見る。
いつもは血色のいい顔が、真っ白に染まっていた。触れてみるとぞっとするほど冷たい。
「…………何が、あったんですか」
声が怒りで震える。少し離れた場所でこちらを見ていたタナッセは、一言すまないと言った。
「そういうことじゃないっ! レハト様に何をしたの! どうして……どうして、こんな」
――死人のように冷たいの。
言いかけた言葉を飲み込む。その単語を言ってしまえば、レハトが死んでしまうような気がした。
「罰は、受ける」
「あんたのことなんてどうだっていいの! 原因を言いなさいよ! レハト様の命に関わるのよ!?」
サニャの怒声を浴びても、彼は再び謝罪の言葉を口にするだけだった。胸倉をつかみ、叫ぶサニャを戻ってきたローニカが押さえた。
「貴方の怒りは最もですが、レハト様のお身体に障ります。今はこらえてください」
その言葉にはっとする。レハトの命が一番大事なのだ。それを自分のせいで危険にさらすわけにはいかない。
唇をかみしめて頷いたサニャに、ローニカはしばらく控室で待機しているようにいいつけた。
レハトが意識を取り戻すまでの五日間は、生きた心地がしなかった。日を追う毎に彼の顔は生気をとりもどしていったが、あの時に触れた冷たさが忘れられず、いつまたあんな事態になるのではないかと怯えた。
サニャの不安は現実にならず、レハトは目を覚ました。
それが、どれだけ嬉しかったか。十七年間の人生でこれほどの喜びを覚えたことはなかった。
けれど、今のサニャの心は鬱々としていた。
「……サニャさん、くれぐれもあのお二人の前でそのような顔をしてはいけませんよ」
レハトの机の上を掃除しているときにローニカにそう忠告され、思わず顔に手を当てる。
顔にでていたのだろうか。気をつけなければレハトが心配してしまう。
持ち上げた耳飾りをそっと戻す。かわいらしい装飾が施されたそれは、先日タナッセがレハトに贈ったものだった。レハトはそれをとても大事にしており、いつもつけるようになった。訓練の時に傷ついたら嫌だからと、訓練場に行く時はこうして部屋に置いているのだが。
「ローニカさんは何とも思わないんですか」
不満の滲んだ声がでてしまった。けれど、これはサニャだけが抱えているものではないだろう。
レハトの従者だけでなく、この城の人間の多くが不満まではいかずとも疑問に思っているはずだ。
「レハト様、殺されかけたのに……」
目を覚ましたレハトは自分の命を危険に晒した犯人の名を口にしなかった。状況的に見て、タナッセが害を及ぼしたというのは間違いがない。サニャがそう問うてもレハトは首を横に振った。自分を襲ったのは見知らぬフードの男だったと。
殺されかけたところを間一髪でタナッセが助けてくれたのだと、むしろ彼をかばう発言までしている。
レハトがどうしてそんな行動をするのか、わからなかった。――彼が、タナッセに思いを告げるまでは。
いや、今でも彼の言動は理解できない。あれほど憎みあい、殺されたかけた相手に好意を抱くなど考えられなかった。
けれど、レハトは現にタナッセを愛し、タナッセもまたレハトを愛した。
「……私も、納得いかないところはありますよ。ですが、人の心とは複雑なもので、己の心さえもままならないことが多いのです。それはレハト様もタナッセ様も……もちろん貴方も例外ではありません」
「………………」
「レハト様が選んだ方です。どのような方でも、受け入れて祝福をしましょう。あの方を想うのなら」
言葉を返そうと口を開いたときに、レハトが元気よく部屋に飛び込んできた。
「聞いて! 今日ヨナルトと試合して初めて勝てたんだ!」
「それはようございました。あの方は御前試合でも上位に入る方です」
「そう! だから、嬉しくってさ! あ、タナッセにも報告しないと!」
慌ただしく汚れた服を着替え、耳飾りをそっとつけるとレハトは駆けて行った。
「…………どのような過程を経たのであれ、私はこれでよかったと思っていますよ」
レハトの消えた方眺めながら、ローニカはそうぽつりと呟いた。
洗濯物をとりこんでいると、突風がふいた。
手にしていたハンカチが風にさらわれ、慌てて追いかける。ようやく見つけたハンカチは、中庭の奥まった木の枝にひっかかっていた。
もう一度洗濯しなければ。そう思いながらハンカチを取り戻したサニャの耳に楽しそうな話声が聞こえた。
「じゃあ、今度の御前試合で決勝まで行けたら、口づけしてくれる?」
「っ、だから、何故そういう話になるのだ!」
「えー、だって、ご褒美があるほうが頑張れるでしょ」
「お前は私の話を聞いていたのか! 万一何かあったら危ないから出場は控えろと言っているんだ」
「えー……」
「口づけは、してやるから。……出るな。心配だ」
「…………うん」
顔をあげると、木々の間からタナッセとレハトの姿が見えた。
レハトは気恥ずかしいのかくるくると辺りを走りまわり、、タナッセはそれを呆れたように窘めるがその顔はとても優しかった。
あんな顔を、する人だったのか。
以前レハトを貶していた表情からは想像もできなかった。
彼は変わったのだ。そして、彼を変えたのは紛れもなくレハトなのだ。
仲睦まじくほほ笑む二人をこれ以上みていることができず、ハンカチを握りしめ、サニャは気付かれないようにそっとその場から立ち去った。
レハトが倒れたのはその数日後のことだった。
顔色がよくないと思い、休むように声をかけた矢先、レハトは眠るように倒れたのだ。
医師の診断では寝不足による疲労。数日安静にしていればすぐに治るとのことだった。
目の前でぐっすりと眠るレハトの目元にはうっすらとクマができていた。彼はあの事件以来、以前にも増して勉学に励むようになった。時には夜が明けることまで机にかじりついていることもあった。
彼はその理由を言わなかったが、タナッセのためだというのはサニャにも理解できた。印を持たぬとは言え、タナッセは現王の子息で、また貴族の中でも地位の高いランテの血を引いている。少しでもタナッセに似合う人間になろうと、彼は毎晩必死で勉強していたのだ。
倒れるほどの無理をしてまで、彼の傍にいたいのだろう。彼が好きなのだろう。
「――レハトっ!」
大きな音をたててタナッセが現れた。肩で息をしながらベッドへと近づき、寝ているレハトの顔を覗き込む。よほど急いだのだろう、服は乱れ、髪には葉っぱがついている。
「――睡眠不足です。寝ていれば治ると、お医者様はいっていました」
そう告げると、タナッセの顔に安堵が広がった。
「そうか……。私はてっきり……」
その先の言葉を彼は紡がなかった。
静かな寝息を立てるレハトの頬を愛おしげに撫でる。
「……レハトは無茶をしやすい。何度止めても危ないことばかりをする。――サニャ。レハトの看病を、よろしく頼む。……私が頼めた義理ではないが」
自虐の笑みを浮かべて立ち去ろうとした彼を呼びとめる。罵倒されると思っているのか、覚悟を決めたように彼はサニャを見た。
「……よかったら、レハト様のお傍にいてあげてください。目が覚めた時に貴方がいるのが、何よりもレハト様を元気づけますから」
彼が目を見開き、こちらを見る。そしてありがとう、と柔らかく笑った。
用事があるからとその場を離れ、控室へ行く。ドアを閉め、自分一人になるとぽろぽろと涙が出てきた。
わかっている。レハトとタナッセはお互いを深く想いあい、誰もその間には入り込めないと。タナッセの傍にいるのが、レハトにとっての幸せだと。自分はそれを祝福しなければいけない。
けれど、今だけ。今だけはどうか泣かせてほしい。
「レハト様……好きです、大好きです……っ」
やがて忠誠に隠すこの想いをどうか、今だけは。
かもかて、ダンマカの二次創作サイト。
恋愛友情憎悪殺害ごっちゃにしておいています。
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