今日もアネキウスは頭上に輝く。地上に住まうすべてのものを祝福し、その恩恵を受ける人々は神を崇める。
生まれ育った村でも一時的に住んでいた城でも多くの人間が神に祈りを捧げていたが、ここ神殿の本殿であるディットンでは特に神への信仰が色濃い。
それが神殿であれば、尚の事。祈りに来る多くの人間に交じり、神官達は共に祈りの穴から神を見上げる。
本来であれば、神官になった私もそこに入っているはずだった。けれど、私はここに来て一度たりとも祈りの穴を訪れたことはない。ここに来た当日に遠くから見ただけ。
それどころか私は自分の部屋として割り当てられた部屋からも自由に出られない。ティントアが傍にいる時は外に出ることも許されたが、彼に用事がある時は部屋に閉じ込められた。
「まるで、かごに捕らわれた鳥みたい」
鉄格子のはめられた窓から僅かに見える空を見上げて、自嘲する。
来た当初はどうにか彼の拘束から逃れられないか試みたが、どれも無為に帰した。
こうなることはあの日に薄々感じていた。けれど、それでもなんとかしたかったのだ。
神殿は私の徴を欲しがっていた。神に選ばれたとされる人間が神官となれば、神殿の威厳が増す。だから、神殿は無理を言わなければ私の意志を尊重してくれると思っていた。
だが、実際に彼らが選んだのは私の自由よりもティントアの執着だった。ティントアは私を神殿に招いた功労者。そして、現神殿議員。ただ輝く印をつけた女よりも神殿には重要だったのだろう。
それに私の役目はもう終えた。神殿入りした私の感情など配慮する必要がない。
「……ああ、まだ私の利用価値はあったわね」
ひりひりと痛む下肢がまだ私が果たすべき役割を告げる。
印持ちは次の印持ちを産む可能性が高い。ヴァイルは子どもを作る気がないと宣言しているが、いつ気が変わるかしれない。その前に私が子どもを産まなくてはいけない。神官が印持ちの子を産む。しかもそれが神殿議員の子となれば、神殿は更に権威を誇ることができるだろう。
だから、私は毎夜望まぬ夜伽を強いられる。ティントアは乱暴に私を扱うことはなかったが、それでも早く子を孕ませたいのか、私が拒んでも無理に事に及んだ。
そのうち、私は彼の子を腹に宿すだろう。
「……嫌だ」
一度私は彼と心を通わせた。けれど、彼の重すぎる愛に耐えきれず、私は他の人に心を移してしまった。
未分化最後の日、私はその人に会いに行こうとした。別に想いを告げる気はなかった。その人とは気安い仲とはいえ、相手は私を友としか見ていない。だから、せめて大人になる前に少し話をしたかっただけなのだ。
けれど、それさえ彼は許さなかった。私は愛した人に会うこともできず、強制的に神殿へと連れてこられた。
ティントアには悪い事をしたと思っている。彼はただ彼なりに私を愛してくれた。私はそれを裏切ったのだ。当然の報いとも言えよう。
けれど、これ以上は耐えられない。
「レハト様、お食事をお持ちいたしました」
扉がそっと叩かれる。それに応えると、アモナは鍵を開けて中に入ってきた。
ここに来てから私はティントア以外の男の人と接することはなくなった。彼が私と接触を許すのは女性のみ。それも、必要最小限だけ。
私の世話はいつもティントアがするが、彼が忙しい時はいつもアモナが私の食事を運んできてくれた。彼女も用事がある時は他の女性が持ってきてくれるが、大抵はアモナだった。
ティントアが彼女を私の世話役に選んだのは、同じ神殿議員だからだろうと以前アモナは言った。けれど、それは違うと断言できる。
彼がアモネを選んだのは、彼女がこの神殿で一番私の神殿入りを望んだからだ。神の恩寵を受けた人間はここにいるべきだと考えている彼女なら、たとえ監禁されていても私を外に連れて行こうとはしない。他の人間であれば哀れと思うこの姿も、彼女の目には神が与えた試練と映る。
彼女に協力を仰ぐことはできない。少しでもそれをほのめかせば、すぐさまティントアに伝わり、私はこの部屋の中でさえも自由に動けなくなるだろう。
「……ティントア、最近いないね」
私が食事を終えるまで、アモナは退出しない。以前、食事を絶って抗議しようとした事があるからだ。私がきちんと食事をするか観察するのも、彼女の任務に含まれている。
「ええ。あの人は今とても忙しいんです。大神官長を目指していますからね」
「え……大神官、長…………?」
「以前は神殿議員になることさえも熱意を感じられなかったのに、貴方の為にと張り切っているんですよ」
生じた震えが甲高い金属音を発する。
私の動揺を喜びと受け取ったアモナは、優しく私の手を取り微笑んだ。
「だから、この寂しさも今だけですよ。彼は間違いなく大神官長になるでしょう。その素質も人望もある。誰もがそれを認めています」
慈愛のある笑みで、アモナは残酷な言葉を突きつけた。
その後、彼女は何か言っていたが、まったく頭に入ってこなかった。
「それでは、失礼致します」
震える手でなんとか食事を終えると、アモナは穏やかな声色で扉の向こうへと消えた。
一人となった静かな部屋の中で、先程の会話を反芻する。
――彼は、大神官長になろうとしている。私の為に。
それが何を意味するのか。考えるとぞっとした。
「……逃げなきゃ」
ここからではない。彼から、逃げなければ。
私は寵愛者。死後は神に招かれ天へと行くが、ただの人である彼は山に登る。だから、そのうち衰弱して死に至れば、この苦しみから解放されると思っていた。
けれど、彼はそんな当然の結末さえも、甘んじて受け入れなかった。
神に呼ばれるのは、額に印を持つ寵愛者だけではない。偉業を成し遂げた英雄や大神官長も共に天へ行く。
だから、ティントアは大神官長になるのだ。死後も私を逃さないために。
「彼が天に上るのなら、私は――」
希望とも呼べる決意に私は拳を握りしめた。
「今日は少し忙しくて遅くなるかもしれないから、寂しい思いをさせるかもしれないけど、必ず帰ってくるから待っててね」
「…………わかった」
「――じゃあ」
そういって、ティントアは手を差し出す。
私はだるい腕を上げて、彼の指に自分のそれを絡める。
毎朝行われる誓い。一生共にいると神へと捧ぐそれを、ティントアは一日たりとも欠かしたことはない。
誓いの言葉を紡ぎ終わると、ティントアは満足したように微笑み、私の額に口づけて去って行った。
それから少ししてアモナが食事を持ってくる。朝はいつもまともに動けないので、アモナが食べさせてくれるのだ。
「――熱っ」
粥を口に入れられた途端そう叫んで彼女の手を食器ごと振り払う。不快な金属音がなり、食器からこぼれた粥が床に広がる。
「あっ……ごめんなさいっ」
「いいえ、それより怪我はありませんか?」
「大丈夫。……食事を無駄にしてしまったわね。申し訳ないわ」
「すぐに新しいのをお持ちします。掃除は私がしますので、貴方はそのまま動かないでくださいね」
アモナは座っていた椅子に盆を置くと、慌てて部屋を出て行った。私が出られないよう、きちんと鍵をかけるのを忘れずに。
もしかしたらと期待していたが、抜け目のない彼女に少しだけがっかりする。
だが、本当の狙いは他にある。
私は重い体を動かして、彼女の置いたお盆のに乗せられている果物ナイフを手に取る。いつもは食後に果物を剥いてもらっていたのだが、今日はもうすでに食べ終えた後だった為、刃はうっすらと果汁に濡れていた。
彼女は最初、この部屋にナイフを持ちこむ事に躊躇していたが、私に敵意や殺意の感情が見られず、また時折ティントアを気に掛ける発言をしているためか、殺傷や自害の可能性はないと判断したのだろう、毎朝新鮮な果物を剥いてくれるようになった。
ただ昔母が寝込んでいる私に果物を切ってくれていた為そうして欲しかっただけなのだが、精神衰弱から来る我儘がこうして利になるとは思わなかった。
湿った表面を掛け布で拭うとナイフをそっと枕の下に隠した。
「新しいのをお持ち致しました」
微かに息を弾ませたアモナが入室する。彼女には珍しく、走ってきたのだろうか。これだけ慌てているのだから、しばらくはナイフがない事にも気が付かないだろう。
アモナはいつものように食器を乗せた盆を手荷物と、一礼して扉を閉めた。
施錠する音を確認して、そのまましばらく待つ。静寂。彼女は立ち去ったようだ。
私ははやる気持ちを抑えながら、隠していたナイフを手に取った。
窓から差しいる御光に輝く刃は神の導きのように思える。ゆっくりとそれを喉に宛てる。ひやりと冷たい感触が肌に触れ、恐怖か喜びか、私の体が震えた。
このまま肌に食い込ませれば、私は救われる。自殺はこの世で許されない罪の一つ。たとえ神に祝福された身であろうとも、魔の国に落とされるだろう。
ティントアが大神官長になりたいのなら、なればいい。彼が神の国に行くというのなら、私は魔の国へ。
――ようやく、私は解放される。
腕に力を籠めようとしたその時。
「――何、してるの?」
突如聞こえた声に私の体は大きく震え、その衝撃で手に持っていたナイフを落とした。私の手を離れたナイフは床にたたきつけられ、乾いた金属音が私に絶望をつきつけた。
震えながら声のするほうを振り向くと、いつのまにかドアが開いており、ティントアがこちらを見つめていた。
「ねえ、レハト。何をしてたの? 何をするつもりだったの?」
呆然とする私に問いかけるティントアの瞳はどこまでも昏い。
この人は私の答えなど求めていない。そうであれば、私は今こうしていないのだから。
「……な……で、ここ……」
「出かける時のレハトの様子がおかしかったから、戻ってきたんだ。そしたら、アモナさんとすれ違って、いつもあるはずのナイフがなかったから」
ナイフがない事はいずればれるとは思っていた。けれど、それは食器を洗う時でもう少し先だと思っていたのだ。紛失が明らかになった頃には私はもうこの世を後にしている算段だった。
「――レハト」
いつの間にか近くなった声に驚いて顔をあげると、彼が目の前にいた。恐ろしさに怯えて後ずさる私の手を彼は掴んだ。
「……っ」
「レハトは、魔の国に行きたいんだね?」
私の顔を覗き込み、確認するように彼が問う。
冷たい瞳に射すくめられた私は肯定も否定もできず、ただ彼を見つめ返すのみ。
「……そう。レハトが魔の国に行きたいのなら、それでもいいよ。僕も行くから」
「え……」
自害を許さないのは神だけではない。人も厭わしい行為として、自殺者の出した家の人間に冷たく当たる。だから、魔の国に落ちる覚悟はできても残される身内を想って多くの人間は自ら命を絶てないというのに。
――この人はここまで狂っていたのか。狂わせてしまったのは私なのか。
こみあげる涙で視界が歪む。そっと私の目元を拭うティントアの手つきは優しく、愛に満ちていた。
「安心して、レハト。僕は神の元であろうと魔の国であろうと、レハトと一緒にいられれば、それでいいから」
女のように白く細い指が私の指に絡まる。ぞっとするほどの冷たさに反射的に逃げようとした私を、強い力で押さえつけた。
狂気に染まる瞳が迫る。彫刻のような美しいその顔が、穏やかな笑みを浮かべる。
「だって、約束したもんね? ――ずっと、一緒だって」
かもかて、ダンマカの二次創作サイト。
恋愛友情憎悪殺害ごっちゃにしておいています。
管理人:紅葉
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