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望む未来を

5周年お祝いSSその一。
リリアノ愛情Bエンドから5年後のレハリリ。
流血、死ネタがありますので注意。

拍手[7回]




 ざざん、ざざんと波が岸壁に打ち寄せる。空には風に煽られた雲が足早にかけていく。
 今はまだアネキウスが太陽に姿を変えて間もない朝方。辺りに人の気配はなく、時折魚を求めて海へと向かう鳥が横切るくらいだ。
 そんな中、僕は一人剣を振るう。
 まだ世界が薄闇に覆われていた頃から振り続けていた為、額にはじんわりと汗が浮かんでいる。体にも疲労感が纏わりついていたが、それが心地よく思えるのは、朝の澄んだ空気のせいだろうか。

「お疲れ様でございます」

 剣を置いて一息ついた僕の耳に、聞きなれた声が届いた。
 顔を上げるともう数年共にいる老侍従が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

「休憩中のところ、声をおかけして申し訳ございません。朝の準備をしておりましたら、なにやら音が聞こえてきましたので」

 ローニカが用意してくれた清潔な布を受け取り、汗を拭う。

「こちらも、よろしければ」
「ああ、ありがとう」

 準備がいいなと感心しながら、渡された水を一気に飲み干した。からからに乾いた喉に水がしみわたり、僕はほっと息をつく。

「毎朝、鍛錬されているのですか?」
「うん。さすがに雨の日は室内で簡単に済ますけど。早く、強くなりたいからね」

 成人して男になった体は、未分化の頃とは比べ物にならないほど力をつけた。けれど、それでもまだ足りない。もっともっと強くなりたい。

「……何のために、ですか?」

 ぽつりと放たれた問いに彼の顔を見やる。静かにこちらを見つめる瞳は、穏やかながら真剣味を帯びていた。

「そんなの、決まっているじゃないか」

 彼から目を逸らし、海を見る。
 どこまでも続く、青い草原。きらきらとアネキウスの光に身を輝かせるその姿とは正反対に、怪物が住むと言われる不穏な場所。
 彼女はいつもこの景色を眺めている。
 彼女が何を考えているのか、僕は知らない。未分化の頃よりも彼女の目線に近づけたというのに、隣を歩いているというのに、彼女の見る景色は僕のそれとはまったく違うものに思えた。
 海を見る彼女の横顔はとても美しかった。
 造形の問題ではない。城にいた頃も彼女の美貌には見惚れる事があったが、今は何かが彼女を美しく飾り立てているのだ。
 初めはそれが王としての責務から解放された安堵感かと思っていた。僕の出現により、彼女は歴代の王よりも継承で心労が大きかったから。
 城にいた頃とは違い、政務に追われることなく自由に散歩や趣味に興じている彼女は楽しそうだった。だから、彼女が更に綺麗に思えるのだと。
 けれど、すぐにそれは違うと気が付いた。
 彼女を彩るそれは、生き生きと弾むようなものとは違っていたから。
 どこまでも続く海原を見つめる彼女が纏っていたのは、散りゆく花の如き儚さだった。
 それに気が付いた時から、僕は強くなろうと決めたのだ。

「……レハト様?」

 呼びかけられて我に返る。物思いに耽っていたようだ。

「……ごめん、朝早くに起きたからぼーっとしてたみたい」

 取り繕うように笑って立ち上がる。

「そろそろ皆も起きてくる頃だし、今日はこの辺にしておくよ。ローニカももう仕事に戻って大丈夫だよ」

 だが、彼はその場から動かない。
 不思議に思い名を呼ぶと、彼はゆっくりと口を開いた。

「……人の強さには限界があります。どれだけ強くなろうとも、どれだけ力を得ようとも、突破できない壁も確かに存在するのです」

 淡々と紡がれる言葉。ローニカの視線は海へと移る。

「流れゆくものを留めることなどできません。それが本人の意思であれば尚の事。レハト様。未来を変えられぬと知っても、それでも貴方様は強くなりたいと願うのですか」

 僕に問いかけているというよりは、自問の響きを持っているように感じられた。
 答えるべきかしばし迷ったが、僕は思うままに口にした。

「未来なんて、誰にもわからないよ。だって、六年前まで僕の存在を誰も知らなかったんだ。継承者はたった一人しか現れない。それが当然の決まりで未来だと、誰もが疑わなかった」

 ただの田舎者の孤児が国王候補として王城で暮らすなんて、僕自身も思いもしなかった。王城で暮らした一年の記憶が夢のように感じられる時もあるくらいだ。

「だから、変わらない未来なんてないよ。きっと努力すれば決まった未来も変える事ができる」
「……そうですか」

 ローニカはふうとため息をついた。

「そうですね。確かに、貴方様ならもしかしたら――」

 彼が一度目を閉じ開いた時には、いつものローニカに戻っていた。

「私はきっと貴方様のそうした無限の可能性に惹かれて、こうしてランテのお屋敷までお供したのかもしれません」
「あれ、ローニカほんとは違う所に行く予定だったの?」

 王にならない僕には継承の儀までの付き合いだとはわかっていたが、彼の元の主はリリアノだ。だから彼女についていくのだとばかり思っていたのだが。

「……ええ。本当はこのまま引退しようかと思っていのですよ」
「そうだったんだ。ローニカがこうしてきてくれてよかったよ。引退したらもう会えなくなっちゃうだろうし」

 そういうと彼は嬉しそうに目元を笑ませた。





***





「……お主は本当に無茶をするな」

 呆れたような声が降ってくる。ベッドの傍らに立つ陛下は言葉とは対照的にどこか楽しそうに見えた。
 彼女は僕の額に乗せられた濡れタオルを手に取り、新しいものを持ってくるよう使用人に指示する。

「お主が剣の稽古に夢中になっているのは知っていたが、雨の日までやることはなかろう。成人してから五年、お主は見違えるように力をつけた。少しくらい休んでも問題はないだろう?」

 こんこんと説教されるが、その声色は王であった頃の厳しさは欠片もなく、あまり効果は感じられない。

「……少し、無理をしてしまった事は自覚してます」

 ローニカには自信ありげにああいったが、実際僕は不安だった。これから訪れるだろう未来を変えることができるのか。強くなっても結末は変えられないのではないか。そうした焦りに促されて、雨の日にも関わらず剣の鍛錬をしてしまった。
 その結果がこれだ。医師の診断では熱が引いても数日は安静にしていなければいけない。無茶をして逆効果になっては意味がない。

「たかが風邪、されど風邪だ。今回は大事に至らなかったが、万一ということもある。鍛えるのもいいが、お主はもっと自分の体を大切にすることだ」

 心配そうにそういわれて、罪悪感が胸を刺す。

「……ごめんなさい」
「いや、いい。我も若い頃は多少の無理をして周りの者を慌てさせたものだ。それに、お主にそれほど心惹かれるものがあるのは我にとっても嬉しいしな」

 剣に惹かれたから鍛えているのではない。けれど、それを彼女に言うのは憚られた。要らぬ心労をかけてしまうに違いない。
 だから、僕は黙って頷いた。
 使用人が新しい濡れた布をもってきて僕の額に乗せようとしたのを、陛下がやんわりと止めた。

「待て。我がやろう」
「ですが……」
「こういうのはいつも看病される側のみでしたことはないのでな。やってみたいのだ」

 陛下は一度こうと決めたら絶対にひかない。それをよく理解している侍従は素直に従い、一礼して退出した。
 陛下は綺麗に折りたたまれた布を片手に、僕の額にはりついた髪の毛を取り払い、そっと布を乗せてくれた。ひやりと冷たい感覚が僕の熱を和らげる。

「どうだ、冷たすぎたりはしないか?」
「いえ……ちょうどいいです」
「そうか」

 陛下はどこか楽しそうだった。彼女は長い間王だった。だから、こうして誰かの世話をするというのが楽しいのかもしれない。彼女には息子がいたが、貴族の家では子どもと言えど家の長が看病をすることはないのだろう。

「……陛下とタナッセってどんな親子だったんですか?」

 ふいに沸いた疑問をぶつけてみると、彼女は一瞬目を丸めてこちらを見たが、すぐにいつものように穏やかな笑みをその口元に乗せた。

「突然どうした?」
「なんとなく。あまり聞いたことなかったので」
「そうだな。ごく普通の親子……ではなかっただろうな。我の立場のせいもあるが、それ以上に我の性格によるところが大きい。我が優先すべきは王だが……あまりにも母であることをないがしろにしすぎた」

 青空の広がる窓に目をやり、彼女は昔を思い出すように目を細めた。

「親子といえど、顔を合わせるのは食事くらいでしかない日もあった。いや、むしろそればかりだったような気もする。……だから、このように看病するのは初めてでな。少しはしゃいでいるところもある」

 いたずらを咎められた子供のように、陛下は肩をすくめた。

「だからついついお主の世話をしたくなってしまうが、負担をかけては申し訳ないな。我は戻るとしよう。ゆっくり休め」

 そう告げて陛下はベッドから離れる。先ほどまですぐ近くにあった彼女の気配が遠のく。彼女が背を向け、歩き出す。僕の元から去っていく――もう、二度とここに戻ってくることはない。

「……レハト?」

 陛下の問いかけにはっと我に返る。
 気が付けば、彼女の服の袖を握っていた。

「あ……すみません、なんでもありません」

 気まずくて慌てて手を放すも、彼女は立ち去ろうとはしなかった。

「……そうだな、我はもう少しここにいようか。せめて、お主が眠るまでは」

 そう微笑んで、彼女は優しく僕の頭を撫でた。迷惑ではないか、と口に出かけた問いは、その心地よさに呑まれていく。
 そして、僕はあっという間に眠りについた。



 陛下の看病のおかげか、翌朝には熱は引いていた。二日ほどは念のために安静を強いられたが、剣の鍛錬以外は普通に過ごしていいと許された。

「こんなにいい天気なのにな……」

 雲一つない青空を見上げて不満をもらすと、後ろから笑い声が聞こえた。

「お主はほんとに元気がいいな」
「陛下っ! お帰りになられたんですね!」

 二日ぶりの陛下の姿に、僕の胸は弾んだ。
 彼女は昨日ランテ領の政務のため、屋敷を留守にしていた。ランテの現在の頭首はヴァイルだが、彼は今国王として激務に追われている。そのため、陛下が彼の補佐として仕事をすることも多々あった。
 本当は彼女の息子のタナッセが行うのが道理だが、彼はランテに関わるつもりはないらしく、ディットンでのんびりと暮らしているらしい。僕も手伝えたらいいのだが、あいにく頭を使う仕事は苦手なため、彼女が無理をしないように祈るしかなかった。

「ああ。つい先ほどな。お主も体調はすっかり良くなったようだな」
「はい。ですが、明日までは剣を握ってはいけないと言われてしまいました……」
「聞いたぞ。ひどくがっかりしていたそうだな。医師が申し訳なさそうにしておったぞ」
「だって、僕の日課なんですよ。それに数日空いたら体がなまってしまいます」

 部屋の中で行える鍛錬にも限界がある。早く明日が来ないだろうかとため息をついた。

「ふむ。なら、ちょうどよかったのかもしれぬな。レハト、ちょっとついてこい」

 陛下についていくと、彼女は自分の部屋に立ち寄ると二つの長い棒のようなものを持ち出した。

「? 陛下、これは?」
「ああ、お主は山に囲まれた村に住んでいた故、わからぬのも無理はないな。まあ、時期にわかる」

 渡された棒は軽く、先端には鉄のような杭がくくりつけられた糸が垂れ下がっている。何かにひっかけるのに使うのだろうか。
 疑問を抱えたままの僕を連れ、陛下は外に出た。ほぼ毎日一緒に散歩をしているコースを歩き、やがて岸壁のある場所で立ち止まった。

「昔から、ここが我とあやつの定位置だった」

 呟きながら腰かけた彼女はここに座れと隣の席を叩いた。
 僕が座るのを確認すると、彼女は持ってきた筒の蓋をあけた。気になって覗き込むと、うじゃうじゃと動き回る無数のミミズの姿があった。

「おや、お主は動じないのだな。城にいた頃の侍従はそれはもう騒ぎ立てていたのだが」

 ミミズを一つ掴むと、彼女は糸の先にくくりつけられていた杭に刺すと、それを海に放り投げた。
 僕も陛下に倣って餌をつけた糸を海に投げ入れる。

「ここの魚はなかなか太っていて上手いのだ。釣れたら夕食が豪華になるぞ」
「それは楽しみです!」
「どちらが大きな魚を釣れるか競争しようか」
「はい!」
「ただ競争するだけより、何か賭けた方が面白いやもしれぬな」

 何を賭けるかしばし考えていた陛下は、悪戯っ子の様にニヤリと笑って指を立てた。

「では、敗者は勝者の言うことを何でも一つ聞く……というのはどうだ?」
「何でもですか?」
「できる範囲で、という制限はつくがな。なんだ、我に何かやらせたいことでもあるのか。さっきよりもやる気になっておるではないか」

 かかと笑いながら、陛下は最初の一匹を釣り上げた。

「ふふ。こう見えても我は釣りをしていた年数はあるのでな。そうやすやすとお主には負けぬよ。我が勝ったら……そうだな、お主にはこうして毎日釣りに付き合ってもらおうか」
「勝敗関係なく、喜んでお供しますよ?」
「そういっていられるのも最初のうちだけだ。物珍しくてしばらくは楽しいだろうが、本当に好きでなければ毎日は飽きるものよ」

 陛下と一緒にいられるなら苦手な地理でも楽しく感じられますよ。
 そう思ったが、心の中にとどめた置いた。言ってしまえば本当に地理の勉強をさせられそうだ。陛下とともにいられるのならもちろんそれでもいいのだが、できれば地理よりも釣りの方がいい。

「ほれ。また一匹つれたぞ。こちらはなかなか大きい」

 それに、今の陛下の顔は普段見るものとはどこか違っていて楽しい。表情や声が生き生きとしていて、同じ年頃に思えるのだ。
 いつもの陛下も好きだが、普段感じている差がなくなってしまえるこの時間はとても貴重で幸福に思えた。

「レハト、引いておるぞ!」

 彼女の声にはっとする。陛下に集中しすぎていた。糸はピンと張っており、手にはぐいぐいと引っ張る感覚が伝わる。
 どうすればいいのか迷ったが、先程彼女がしていた事を思い出し、必死で真似しながら竿を引いた。
 釣り上げた魚は随分と小さなものだったが、初めて釣れた魚は感慨深い。ぴちぴちと跳ねる魚を用意した籠に入れ、次はこれより大きなものを釣ってやろうという気になった。

「お主は釣りと相性がいいかもしれぬな」
「見ててください、次は陛下よりも大きなのを釣り上げてみせますから!」
「はは。その意気だ」

 アネキウスが赤みを帯び始める時刻まで僕たちは釣りに熱中した。
 あれから何度も魚がかかり、僕は十数匹釣り上げることができた。

「ほう。初めてにしてはなかなか釣れたな」
「まだまだです。だって、陛下が釣り上げた魚の方が僕のより大きいですから」

 数は僕の方が陛下より多かったが、大きさは陛下の方が遙かに勝った。さっき彼女が言った通りの丸々と太った魚と子どもかと思えるほど小さな魚。いくら数が多くても、分は彼女にあった。

「ふむ。我の勝ちのようだな」

 勝負に勝てなかったのは残念だが、陛下とこうして一日一緒にいられたのは楽しかった。

「では、僕は約束通り釣りにいつでも付き合いますね」
「……やはり願いは別のものにするとしよう」

 陛下の傍にいられる口実がなくなってしまったのは正直残念だったが、陛下の願いを叶えられるのに変わりはない。彼女が望むことはなんでもしたい。

「別のもの? なんですか?」
「我が――……いや、今は言わぬ。来たるべき時が来たら、お主にそれを伝えよう」
「今はだめなんですか?」
「ああ。……そんな露骨にがっかりするな。楽しみは後にとっておいたほうが良いだろう? それほど遠くない内に叶えてもらうことになるだろうしな」

 陛下が見上げた先には夕刻を告げるアネキウスの姿がある。普段は美しいと感じるその赤。しかし、彼女の瞳に移りこんだそれは、何故だか血のごとく見えた。

「……陛下、もう行きましょう」

 これ以上ここにいれば、その赤はきっと彼女を染め上げてしまう。
 そんな予感に耐えきれず、僕は籠をもって帰宅を促した。

「そうだな。これ以上遅くなると、しかられてしまうやもしれぬ」

 茶目っ気を含ませ笑う彼女の目にはもうアネキウスはいない。僕はほっとして、彼女の隣を歩いて帰宅の途についた。




***





 深夜の屋敷は静まり返り人気がなかった。見張りとして数人衛士が控えているのだろうが、屋敷の規模からすると到底足りず、あまり意味がないように思える。
 僕はいつものようにベランダに出て上空に浮かぶ月を眺める。
 今日は天候が悪く月は薄い雲に覆われてしまっていたが、アネキウスの輝きはそんなもので失われない。晴れの日よりも視界は悪いが、手元を見るには支障がなかった。

「……異常なし、か」

 広がる庭に目を走らせて、呟く。これも日課の一つだ。
 陛下には何度も屋敷の警備を厳重にするよう進言していたが、受け入れてはもらえなかった。
 彼女は現役を退いたとはいえ、五代国王だ。その影響力は今も健在で、それは現政権の脅威になりうる危険性を孕んでいる。
 陛下の権力を利用してやろうと企む輩が出るかもしれない。誘拐して無理やり言う事をきかせようとする不届きものが。
 いや、それどころか現政権側の人間が陛下の命を狙う可能性もあるのだ。むしろこちらの方が起こりうる確率が高い。
 陛下は意志の強い人だ。彼女はもう政治に関わらないと明言した。たとえ喉元に刃をつきつけられても、それを曲げることはないだろう。
 この屋敷に侵入者が現れるとしたら、きっとそれは彼女を殺す命を受けた暗殺者だ。彼らは陛下の命を奪うことを第一とし、それなりの腕のあるものが使わされるだろう。

「……陛下は僕が必ず守る」

 そのために、この五年ずっと鍛錬を重ねてきたのだ。
 僕にでもわかるくらいなのだから、陛下も自分に暗殺者が仕向けられることは予測しているだろう。なのに、彼女は衛士を増やそうとしない。警備の犬でさえも、世話が大変だからと断った。
 先日の釣りでの陛下を思い出す。彼女は時折ああしてアネキウスを見上げる。まるで、迎えを待っているかのように。
 彼女は殺されるつもりなのだ。何が陛下にそう決意させたのか、僕は知らない。聞いても彼女は話さないだろう。
 本当は陛下の望むとおりにするのがいいのかもしれない。彼女が死を願うのなら、邪魔するのはむしろ彼女を不幸にするだけなのかもしれない。
 それでも、僕は陛下に生きてほしかった。
 思考に耽る僕の耳が小さな異音をとらえた。はじかれる様に辺りを見回したが、人影はない。もう一度耳を澄ましたが、風にゆれる葉の音が聞こえるだけ。
 気のせいだろうか。
 だが、妙な胸騒ぎがする。
 今は日付も変わった深夜。こんな時間に訪れて起こしてしまったら申し訳ない。
 しかし、もし本当に侵入者がいたとしたら。
 可能性を考えた瞬間、僕の体は動いていた。


「陛下っ!!」

 焦りの為か、僕は夜中だと言う事も忘れて、声を上げて部屋の扉を乱暴に開けた。
 何事もなくて、陛下の眠りを妨げるだけではないかとかそんな考えを持つ余裕はなかった。死を望む陛下の瞳がずっと頭の中でちらついて、離れないからだ。
 部屋には廊下と同じく、灯は消えていたが、部屋は完全に暗闇に呑まれてはおらず、うっすらとだが室内の様子が窺えた。
 ベッドの上で陛下が寝ているのに安堵しかけた瞬間、僕の心臓は大きく脈打った。
 開かれた窓から差しこむ月明かり。それが窓辺に立つ侵入者の影を黒々と照らし出している。

「お前、陛下に何をするつもりだ!!」

 かっと頭に血が上るのがわかった。僕は迷うことなく侵入者へと向かい、怒りのままに握りしめた剣を叩きつけた。
 相手は熟練した腕の持ち主なのか、やすやすと僕の剣を受け止める。間近でみる男の目は人間のものかと疑うほど、冷たかった。

「誰の差し金だ! この方は現政権に関わるつもりはないと公言されただろう!」

 ようやく、陛下はあの煩わしい王座から離れることができたのに。なのに、どうして今も捕らわれ続けなければいけないんだ!
 なんとしてでもこの男を止める。といっても、主から命を受けた闇の者が頼んで引き下がってくれることはないだろう。
 となれば、もう息の根を止めるしかない。こういう輩はたとえ手足をしばったとしても、命ある限り陛下を殺そうとするに違いない。
 湧き上がる殺意に突き動かされようとしている僕は、もしかしたら目の前の男と同じ瞳をしているのかもしれない。
 それでも構わない。陛下を守れるのなら、人外にだってなってやる。

「――やめよ、レハト」

 凛とした声。驚いて振り返ると、陛下が起き上がってこちらを見ていた。

「陛下……お逃げください! 刺客です! この男は陛下のお命を奪おうとしているんです!!」

 僕の隙を見て動こうとしていた男に意識を戻し、僕は何度も陛下に逃げるよう懇願する。

「僕がここで引き止めますから、衛士のところへ避難してください!」

 けれど、陛下が動く気配はない。

「陛下!!」
「……もういいのだ、レハト。我はもう十分生きた」

 彼女が生を捨てようとしているのは知っていた。けれど、こうはっきりと言葉にされると、絶望感がこみ上げてくる。

「何を言っておられるんですか! 陛下はまだまだ生きなくてはいけない方なんです!」

 僕の情けない震え声が響く。嫌だ。陛下を失うなんて、耐えられない。
 こみあげてきた感情は、僕の視界を歪ませた。その一瞬の隙が刺客に大きな好機を与えた。
 ずしん、と腹に大きな衝撃が走る。ついで訪れた痛みに、顔が歪む。
 僕の体は意に反してずるずると地面に倒れた。起き上がろうともがくが、ダメージが大きいせいか、上手く体が動かない。
 その間に男は陛下の元へと歩いていく。手に握られた短刀が月明かりを受けて輝く。

「っ、陛下!!」

 彼女は動かなかった。ただ、自分の息の根を止めようと腕を振り上げる男をじっと見つめていた。

「陛下!!!」

 僕の叫びもむなしく、男の剣は陛下の喉をかききった。赤く飛び散る血潮。陛下の喉から溢れ、陛下の体を染めていくそれが、僕に絶望を突きつけた。

「へ……か」

 どうして。どうして。
 哀しみと嘆きと怒りが絡み合い、言葉にできない感情が僕の胸を満たす。
 陛下を殺した男は静かに僕に近づいてくる。
 ああ、そうか。この男の主にとって、邪魔なのは陛下だけではないのだ。僕も額に継承の証を戴いている。現政権を脅かす危険因子だ。きっと陛下を殺したら僕も殺すように命じられているのだろう。
 自分も殺されるというのに、僕の口元には笑みが浮かぶ。
 だって、もうこの世界には陛下はいない。なら、生きていたって意味はない。それに、陛下と一緒に逝けるのだ。これはある意味で幸せではないだろうか。
 男の足が止まる。僕は俯き、刃が降ろされる時を待った。
 だが、いつまで待っても痛みは訪れない。不思議に思った僕の耳に、どさりという物音が届いた。
 不思議に想い顔をあげようとしたが、首元に衝撃がはしり、僕は意識を手放した。





***



 目が覚めると、そこにあったのは見慣れた天井だった。

「……朝、か」

 頭がぼんやりとしてはたらかない。
 起き上がろうとしたが、体に巣食う疲労感がそれを止める。なんでこんなに疲れているのだろう。訓練のしすぎだろうか。
 昨日はいつもと同じメニューをこなしていただけだ。
 ……いや、違う。昨日はそれ以外にも何かをしたはずだ。そう、何かを――。

「……! 陛下!!」

 昨夜の出来事が蘇り、僕は飛び起きた。
 陛下が殺された? いや、そんなの嘘だ。きっとあれは夢だ。
 だって、僕は今こうして生きている。あれが現実なら、僕はあのまま暗殺者に殺されているはずなんだから。

「そうだ……きっと、夢だ。そうに決まっている」

 屋敷だっていつもと変わらず静かだ。屋敷の主が殺されたなら、もっと騒がしいはずだ。

「レハト様、まだ起き上がってはいけません。貴方様は倒れられていたのです。せめて今日一日は安静になさってください」

 食事を持ってきたローニカはいつものように穏やかだった。それを見て、僕は安心した。やっぱり、あれは夢だったんだ。

「ねえ、陛下は今どうしているの? 僕、変な夢見ちゃったから、ちょっとお会いしたいんだ」
「……リリアノ様は」

 ローニカは躊躇するように僕から一瞬目をそらしたが、再び僕の方を見ると、静かに告げた。

「リリアノ様は、昨夜暗殺者の手にかかり、亡くなられました」

 頭の中が真っ白になる。
 陛下が殺された。なら、やっぱりあの光景は現実だったのか。

「葬儀などは城にて行う予定ですので、伝達を出しました。王城に出立するまであと数日はあります。今日のところは、お休みください」

 呆然とする僕を気遣うようにローニカは頭を下げ、部屋を出て行った。
 何もする気にも考える気にもなれず、僕は逃避するように眠りについた。




***





 陛下の遺体を見たのは、次の日だった。
 生前彼女の暮らしていた部屋に安置された彼女の首には傷口を隠すためか、白い布をかけられていた。
 あの時彼女の顔に散った血は綺麗に拭い取られ、その横顔は眠っているようにしか見えない。

「……陛下」

 なのに、呼びかけても彼女は目を開かない。躊躇いながらそっとその頬に触れ、ぞっとした。
 陛下は冷たかった。それほど体温が高くない僕よりもずっと低く、精巧に作られた蝋人形のように思えた。
 途端に、彼女の死を実感する。
 死んだ。死んだのだ、陛下は。僕は彼女を守ることができなかった。このためだけに、今まで生きてきたというのに。

「……レハト様」

 力なくその場に座り込んだ僕の肩にローニカが触れる。その手は陛下とは違い、暖かかった。

「ごめん、僕、ちょっと休むね。今日は夕食まで誰も部屋に入らないで」

 ローニカは何か言いたげにこちらを見ていたが、一礼して見送ってくれた。
 自室には戻らず、導かれるように僕は外へと出る。
 ふらふらと歩いているのはいつも彼女とともに歩いた散歩道。ほぼ毎日通っていたため、何も考えずとも体が自然とこの道を辿っているのだろう。
 やがて、崖へとたどり着いた。ここは先日陛下と一緒に釣りをした場所だ。つい先日のことなのに、遙か昔のことに感じられる。

「……僕、まだ貴方の願いを聞いていないのに」

 先に行ってしまうなんて、なんて酷い人だろう。
 魔物が住むと忌み嫌われる海は、きらきらとアネキウスの輝きを反射して美しい。
 空には雲一つない。真っ青なそこに、アネキウスが坐している。
 天。印持ちが死後行くところ。

「陛下……貴方もそこにいらっしゃるんでしょうか」

 手を伸ばすけれど、届きはしない。それでも僕はあきらめず手を伸ばす。
 あそこに陛下がいる。きっと僕が来るのを待っている。
 行かなきゃ。そんな思いに促され、僕は一歩を足をふみだした。そしてそのまま海へ――――。

「…………で」

 海からの潮を孕んだ風が僕の髪を撫でる。

「なんで……っ」

 凪のように穏やかだった心にふつふつと怒りが湧き上がる。
 自分を羽交い絞めにしている腕をはがそうとしたが、見た目に反しその力は強く、到底逃れられそうになかった。
 あと一歩で陛下の元へ逝けるというのに。

「落ち着いてください、レハト様」
「離せ……僕の邪魔をするな!」

 僕の命令を無視してローニカは無理やり僕を連れて、崖から離れていく。なんとか彼の拘束から逃れようとするが、敵わない。老いた人間とは思えないその力が、さらに僕の苛立ちを煽る。

「離せっていってるだろう! 聞こえないのか!!」

 しばらく歩いて、ようやくローニカは僕を解放した。
 腕の力が緩んだ途端、僕はすぐさま彼から離れ、距離をとる。

「……レハト様、リリアノ様を失った哀しみはお察しいたします」
「……わかる? お前に、僕の気持ちが?」

 震える唇が自然と嘲笑を作り出す。
 怒りに満ちた僕の視線にひるむことなく、ローニカは静かに頷いた。

「ふざけるな。お前に何がわかるっていうんだ! 目の前で陛下を、愛する人を殺されたんだぞ!? 何も……何も、できなかった!! あの方を守ると決めたのに! そのためだけに生きてきたのに!! 僕は、未来を変えられなかったっ」

 激昂は涙に変わり、拳を握りしめる。
 掌に食い込む爪が皮膚をやぶり、血が指の股からこぼれ落ちた。地面にしみこんでいくそれを見て、どうして今も僕は生きているのだろうとぼんやり思う。
 陛下の元へ行かなくちゃ。その想いに駆られて取り出した短剣は鞘を抜くことさえできなかった。
 いつの間に傍に来たのだろう、ローニカが僕の腕をとらえていた。

「……頼むから、逝かせてくれ。僕は陛下のお側にいたいんだ。ローニカの主は陛下で僕じゃないんだ。僕の死を阻止する義務はないんだから、そっとしていてくれ」
「――――『レハト、我の願いはお主が我よりも生きてこの世界で様々なものを見、たくさんの人々と関わっていくことだ。我の経験できなかった様々な事を我の分まで楽しんでくれ』」

 間違いなくローニカの声なのに、陛下がそう言って笑う姿が脳裏に浮かんだ。

「息を引き取る直前、あの方はそう仰られました。必ず貴方に伝えてくれと」
「……な……で……。そう、願うくらいなら……っ」

 なぜ、死を選んだのですか。貴方が生きてくだされば、いくらでも僕はその願いを叶えられるのに。

「レハト様、貴方は確かに未来を変えました。リリアノ様の死は避けられなかった。けれど、あの方の生を貴方は鮮やかに変えてくださった。貴方への言付けをされたあの方の瞳は、私が見た中で一番穏やかで幸福に満ちていた」

 呆然と見上げる僕の視線を受け止め、ローニカは優しく微笑んだ。

「どうか、陛下の願いを叶えてください」
「……っ」
「私めはこの命尽きるまで、貴方にお仕え致します」

 空を見上げると、アネキウスが変わらず輝いている。
 神の住まう楽園。いつか、僕もそこに行くのだろう。その時に、陛下との約束を守れていなければ顔向けができない。

「……それは陛下が望んだこと?」
「そうでもありますが……私自身の願いでもあります」
「そっか。じゃあ、これからいろいろと頼ることになるけどいいかな」
「ええ、もちろん」

 僕が学ぶべきことはたくさんある。陛下の期待に添えるような人生を送れるかはわからないが、精一杯生きてみよう。
 アネキウスの光が満ちる道を歩きながら、僕は涙を拭った。

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かもかて、ダンマカの二次創作サイト。
恋愛友情憎悪殺害ごっちゃにしておいています。

管理人:紅葉
since 2013.08.20

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