忍者ブログ

かえるで

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

彼の人

かもかて5周年お祝いSSその二。
モゼーラ裏切りエンド後の話です。悲恋。モゼーラの夫をかなりねつ造しています。

拍手[6回]




 青々とした木々から差しいる光が水面を煌めかせる。眩しさに目を細めながら、そっと湖に足を付け、心地よい冷たさにほっと息をついた。
 ここはモゼーラが城で一番好きな場所だった。人気のない静謐さは日ごろの業務で疲れた心を癒すのに適している。
 だから、休日などはここでのんびりと読書をすることも多かった。
 いつものように本を読もうとしたが、本が見当たらない。
 何故だろうと疑問に思ったが、すぐにその理由を思い出す。
 そうだ、ここで人と待ち合わせをしていたのだ。誰にも邪魔をされず、気兼ねなく話せるように。
 待ち人の事を想うと心が弾んだ。こうして秘密めいた逢瀬を交わしていると、成人したばかりの若い娘になった気分がする。

 ――早く、来ないかしら。

 待ち遠しくて、つい水をぱしゃぱしゃと足で叩く。その水音に葉が揺れる音が混じる。
 期待に胸を躍らせ、足を止めて音のする方を見やる。
 きっと彼が来てくれたのだ。忙しい政務の合間を縫って、モゼーラのために時間を作ってくれたのだ。
 篭りが明けてからの彼は継承の儀だのなんだので忙しく、なかなか合うことが叶わなかった。姿も遠目で何度か見かけるくらいで、成人してから顔を合わせるのは初めてだ。
 彼の部屋付きの使用人からは、精悍な顔つきをしていると聞いていた。
 期待に震える胸元に手を置き、彼が来るのを待った。
 生い茂る木々の間から、人影が現れる。
 彼の名前を呼びかけて、固まった。

「……久しぶり、モゼーラ」

 穏やかな笑みを浮かべて笑うその人。未分化の頃の面影を残すその顔は――-――。



「……ラ…………モゼーラ!!」

 切迫した呼び声に目を覚ます。
 最初はぼやけていた視界が鮮明さを取り戻していくと、そこには安堵の表情を浮かべる男性の姿があった。

「モゼーラ、大丈夫かい? 随分とうなされていたようだけど」
「…………ここ、は」

 調度品も窓から見える風景も、城で与えられた自室ではない。

「ちょっと待ってて。今、水を持ってくるから」

 安心させるようにモゼーラの肩を叩いた男性はそう言い残して部屋を出ていく。
 最初ははたらいていなかった頭が、時間の経過と共にはっきりとしてくる。
 ここは神殿の中枢であるディットン。先ほどの神官服を着ていた男性はモゼーラの夫だ。

「…………どうして、今さらあんな夢を」

 神官の彼と結婚してディットンに暮らし始めてもう五年も経つのに。こちらへ来てからは王城でしていた文官の仕事も辞め、神官として勤めているのに。

「まだ、未練があるのかしら」

 ため息をついて空を見上げる。雲一つない晴天に文を携えた鳥が数羽飛んでいくのが見えた。
 あれはどこ宛ての文なのだろうか。方角から考えて、王城へ行くのかもしれない。
 胸に湧いた感情は形容しがたかった。簡単にここから王城へと飛んで行ける鳥が羨ましくもあり、遠く離れたこの地でも王城との繋がりを感じさせるのが疎ましくもあった。

「お待たせ。持ってきたよ」

 にこやかに水を差しだす夫にお礼を言って、カップに口を付ける。冷たい水が酷く乾いだ喉を潤していく。

「具合はどう? 無理そうなら、今日のお勤めは休むと神官長に伝えておくよ」
「大丈夫、ちょっと夢見が悪かっただけだから」
「そう? 気分が悪くなったら、無理せず言うんだよ。じゃあ、僕は当番だから先にいってるね」

 モゼーラの頭を優しく撫で出て行った夫は、自分にはもったいないほど誠実で優しい人だ。
 彼は元々王城に勤めていた神官で、モゼーラともそこで出会った。勉強熱心な彼と話しているのは楽しく、己の信念を語り合う時間はとても有意義なものだった。
 数年友達付き合いを続けていたが、その関係が変わったのは彼がディットンへ帰る数か月前。それまでも何度か告白はされていたのだが、応えられないと断り続けていた。
 けれど、最後だからと彼が告げたプロポーズをモゼーラは受け入れ、共にディットンへと居を移したのだ。
 彼との間には子供はいない。それどころか、行為自体をしたことがない。何度か試みたことはあるのだが、どうしてもモゼーラは彼を受け入れることができなかった。
 泣いて詫びるモゼーラを、彼は一切責めなかった。告白を断り続けていた事もあったせいか、男性に何か恐怖心があるのだろうと結論付け、大丈夫だからと慰めてくれた。

「モゼーラが僕を選んで傍にいてくれる。それだけで、僕は幸せだから」

 彼はそう言って笑った。男性恐怖症であるのに自分と結婚してくれたことに感謝をしていると。
 彼のその言葉を聞く度に、罪悪感に苛まれた。
 確かに、男性に対して嫌な過去を持ってはいる。けれど、彼に抱かれることに体が拒絶反応を示してしまうのは、それが原因ではない。

「……いつまで捕らわれ続けてるつもりかしら」

 ため息を吐きながら、己を叱咤する。
 本当に、未練たらしくて自分でも嫌になる。
 気分を変える為に、起き上がり伸びをした。もうすぐ修行時間だ。うじうじ悩んでいる時間はない。
 そう自分を急き立て、神官服に袖を通した。



 数年の見習い期間を経て、神官となったモゼーラの勤めは神に祈ることから始まる。辺りには同僚の神官が同じように祈りの穴を見上げて神へと祈りを捧げている。
 あんな夢を見てしまったせいか、今日は一段と胸が重かった。アネキウスに向かい、自分の罪を懺悔する。
 こうしてアネキウスと対峙して己の心の内を話すのは心地よかった。神官になったのは夫が神職であったことも関係しているが、第一はこうして神へと仕えることで自分が犯した罪を少しでも償いたかったからかもしれない。

「熱心なものだね」

 声をかけられて顔を上げると、大神官長が微笑んでいた。

「おはようございます、大神官長」
「ああ、おはよう。今日は具合が良くないと聞いたのだが、大丈夫かね?」

 心配そうに大神官長が問いかける。
 モゼーラに万一の事があった時のために、夫が話しておいてくれたのだろう。
 夫の気配りに感謝の念を感じつつ、大神官長に大丈夫だと返した。

「そうか。最近は無理をしすぎて倒れる方も出ているのでな。貴女もあまり無理をしないように」
「はい。ご心配おかけして申し訳ございません」

 今日は休日の為、いつもよりも神殿を訪れる民衆が多い。するべきことはたくさんあり、そろそろ仕事にかからなければいけない。
 体はもうすっかりいつもの調子を取り戻しており、職務にも支障はないだろう。

「ああ、そうだ、モゼーラ」

 思い出したように大神官長は去ろうとしたモゼーラを呼び止める。

「明日、王城から準神官として来られる方いる。その方のお世話を、貴女にお願いしたのだが、良いだろうか?」
「王城からの方ですか?」

 王城、の言葉に思わず引きつった顔をしてしまったのだろうか、大神官長はゆったりと手を振って笑った。

「王城から、と言ってもそれほど身構える必要はない。確かに彼の人は貴族ではあるが、育ちは君とそう変わりはないし、きっと君と話が合うと思うよ。どうかね。引き受けてもらえるかな?」

 大神官長にそう言われてしまえば、断れるはずがない。
 二つ返事で了承した。




***



「そういえば、新しい見習いの人が来るのは、今日だったっけ?」

 朝食を食べ終え、一息ついていた夫がふとそう口にした。

「ええ。なんでも王城から来る人らしいわ」
「王城から……。なら、共通の会話があるから、話が盛り上がるかもしれないね」

 正直に言うと、王城のことはあまり思い出したくはない。彼の人との幸せだった日々が嫌でも脳裏によみがえってしまうから。
 遙か遠いディットンに来てさえ、時折あんな風に夢に見てしまうのだ。王城の事を話していれば、きっと夢は鮮明さを増してしまうだろう。
 だからと言って、王城の話しないようにするのも無理だろう。モゼーラが王城で暮らしていたと知れば、自然と話はそちらに振れる。平常心を保つよう努力するしかない。

「そうかもね。……ああ、そろそろ時間だわ。神官長に呼ばれているの、先にいくわね」
「ああ、いってらっしゃい」

 にこやかに笑う夫に見送られて、自室を出た。


 大神官長が指定した待ち合わせ場所は祈りの穴だった。
 神へと通じる神聖な場所の為、いつ行っても人がいるのだが、今日は人払いをしているのか、誰の姿も見えない。
 辺りを見渡したが、人気はない。
 モゼーラは手を組み、神へと祈りを捧げた。
 小さな穴から見える空は青く澄み渡っており、その真ん中にアネキウスが鎮座している。輝くその御姿はいつもと変わらないのに、何故だか胸騒ぎがした。
 先日あんな夢を見てしまったからだろうか。それとも、王城のことを思い出すことが多かったからか。

「ああ、もう来ていたのだね」

 背後からかけられた大神官長の声に振り返り、挨拶をしようと口を開いて――愕然とした。

「大神官長……そ、の……方は……」
「ああ、驚いたかね?」

 震えるモゼーラとは対照的に、大神官長はいたずらが成功した子供のような無邪気な笑顔を浮かべて、後ろに控えていた人物を振り返った。
 真新しい神官服に身を包んだその人。アネキウスの光のように美しく輝く金色の髪。その隙間から垣間見えるそれは、神に選ばれた寵愛の証。
 現在額に印を戴くのは、現王ヴァイルと前王リリアノ、そして。

「貴女も良く知っいるだろう。もう一人の寵愛者、レハト様だ」
「……久しぶり、モゼーラ」

 優雅に一礼して微笑んだレハトは、どこから見ても貴族の雰囲気を漂わせた淑女だった。
 そう。彼女は成人の儀で女を選択したのだ。モゼーラに婚姻を申し込んだその口で、女性になると宣言したのだ。

「…………ど、して……」

 どうして、ここに。そう紡ごうとしたが、上手く形にはならなかった。

「貴女がそこまで驚いた顔を見るのは初めてだな。貴重なものが見れた。実は彼女に神官になりたいからしばらくおいてくれ、と直々に頼まれてね。ここには友人の君がいるから、神官の作法は君から教わりたいそうだよ」
「ごめん、モゼーラ、びっくりさせて。久しぶりに会うから、何かしたくって」

 ぱん、と手を前に合わせて謝罪する彼女の笑顔は、未分化だった頃を思い起こさせる。

「彼女からいろいろと話は聞いたよ。王城にいた頃はよく一緒に過ごしていたそうだね」
「は、はい……」
「ああ、世話役と言っても、特別に何かをお願いしたいわけではない。ただ君の普段の職務に彼女を同行してほしいだけだ。あまり気負う必要はない。……では、私は用事があるのでこれで失礼するよ」
「はい。ありがとうございます、大神官長様」

 去っていく大神官長に、縋り付きたい気持ちをぐっとこらえる。

「ごめんね、モゼーラ」

 隣から聞こえた声に心臓が跳ねる。彼女は心底申し訳なさそうにこちらを見ていた。

 ――どうして、女性を選んだんですか。
 ――あのプロポーズはただ私をからかっただけなんですか。
 ――ここまで来たのは私を嗤うためですか。

 必死で理性で押さえつけていた感情が、溢れ出そうになった。
 けれど、レハトの次の言葉がモゼーラの激情を沈めた。

「モゼーラの負担になるようなことはしないから。王城にいる時にも少し学んだんだけどさ、きちんと神官として勤めたことがないから自信がないの。早くモゼーラに会いたくて、無理を言って日程を早めてもらったから」

 あの日の裏切りがなかったかのように喋るレハトに、モゼーラは怒りを通り越して不気味ささえ感じた。
 何故こんな風に平然としていられるのだろうか。レハトにとって、自分はその程度の存在だったというのだろうか。
 それとも、何かを企んでいるのだろうか。

「……モゼーラ?」
「ひゃっ!?」

 急に顔を覗き込まれて、奇声をあげてしまった。
 レハトはきょとんとしていたが、すぐに人懐こい笑みを浮かべてモゼーラの手をとった。

「五年ぶりに会ったけど、モゼーラは相変わらず美人ね! あ、そういえば――」
「あれ、モゼーラ?」

 何かを言いかけたレハトはモゼーラの手を離し、声のする方に視線を向けた。そこにいた夫の姿を見、一瞬不思議そうに眼を瞬かせたが、すぐに上品な笑みを浮かべて近づいた。

「こんにちは。神官様ですか?」
「ええ。貴女は……。……えっ!?」

 彼女の額の徴に気づいた夫は目を丸くして絶句する。
  王城から人が来るとは聞いていたが、まさかレハトだとは思わなかったのだろう。五年前のレハトは主日礼拝の時以外は神殿に現れないほど信仰に興味がなかっ たのだから。成人したレハトはヴァイルの補佐をすると城に残っていたため、尚更ここに来るとは思っていなかったに違いない。

「自己紹介が遅れました。私は王城から来たレハトと申します。この度神殿のご好意により、しばしお世話になることになりました。よろしくお願いいたします」

 レハトが手を差し出すと、夫は緊縛から解けたかのようにはっとして、慌ててその手を握った。

「わ、私の名はゼラールです。モゼーラの夫で、私も以前王城にいたことがあるんですよ」
「ま あ、そうなんですか? 私、王城でよく奥さんと仲良くさせていただいていたんです。彼女がいるって聞いたから、こちらに来ることになった時に色々教えても らえたらと思いまして、神官長様に少し無理を言いましたの。奥さんのお邪魔にならないように気を付けますが、もし何か負担になっているようならいつでも おっしゃってくださいね」
「負担だなんて、とんでもない! 寵愛者様の、しかも友人の世話ならモゼーラも嬉しいですよ! ね、そうだよね、モゼーラ」

 夫の言葉に、レハトの目がこちらに向く。居心地の悪さにぎこちなく頷いた。




***




 あれから、レハトはモゼーラの傍によくいるようになった。
 執務中はもちろん、食事などもモゼーラや夫と一緒に摂り、休日に出かける時も大抵レハトの姿があった。
 今日も例外ではなく、モゼーラの傍らにはレハトの姿があった。

「その巡礼に来た方の話によれば、その方が今まで食べてきた中でも一番おいしいお菓子らしいわ! 楽しみで、私、今日あまり朝食をとらなかったのよ」
「いけませんよ、レハト様。朝食は一日の活力源となります。しっかり摂らないと、その日一日に影響が出るんですから」
「はーい」

 こうしてレハトと話していると、王城にいた頃を思い出す。その見た目が女であることを除けば、モゼーラもレハトもあの頃となんら変わりが無いように思える。
 もちろん、それは錯覚だ。レハトの体が女である以上、モゼーラの心に沈殿するドロドロとしたものは存在し続けるのだから。
 以前と変わらないレハトの態度に最初は戸惑ったが、やがてモゼーラも気軽に彼女と話すようになった。
 レハトに心を許した訳ではない。今は無垢な娘のようだが、それでも彼女がモゼーラに偽りの愛を囁き心を弄んだことに違いはない。今こうして見せている無邪気な姿も、きっと彼女の演技なのだろう。
 彼女はどうして自分に近づいたのだろうか。
 モゼーラには地位も名誉もない。彼女が接触して得するものなど、持ってはいないのだ。なのに、何故こうも関わってくるのか。
 早晩、この嫌な予感は当たるのではないか。彼女が自分に良い未来をもたらすはずがない。

「ふふ」

 沈黙を軽やかな笑い声が破った。

「あ、いえ、なんか懐かしいなって。昔、よくモゼーラそうやって私に注意してくれたじゃない。成人してからは皆遠慮しちゃって、誰も咎めてくれないのよ」
「…………」
「? どうしたの?」
「……いえ、夫も甘いものが好きなので、彼の分も買おうかと思いまして」
「あら、そうなの。そうね、両手に抱えきれないくらい買って帰りましょう!」
「それはさすがに買いすぎですよ、レハト様」

 嬉しそうな彼女の笑顔が嘘のようには思えず、疑ってしまった自分を恥じてしまいそうになった。
 彼女は一見無害のように見えるが、一度それでモゼーラを騙しているのだ。同じことを再びする可能性も高い。
 この五年で彼女は変わったのかもしれない。信仰心が高いとは言えなかった彼女がこうして神官の道を選んだのもその証左ともとれる。王ヴァイルの側で公務に励むうちに彼女を変える人や出来事に出会ったのかもしれない。
 けれど、それが何だと言うのだ。
 人の性質などそう簡単に変わらない。それに、彼女は未だにモゼーラを欺いたことを謝っていないのだ。まるでなかったかのように振る舞う人間が真っ当になったとは到底思えない。
 当時味わった絶望感と虚脱感が体を支配しそうになるのを懸命にこらえる。
 今こんな感情に浸っても、いいことなどない。彼女は腹に一物ある。それだけを忘れず用心していればいいのだ。




***




「モゼーラ、大丈夫かい? 最近調子が悪そうだけど」

 寝支度をしてる時に、心配そうに夫が頬に触れた。

「最近、少しやせたような気がするよ。無理していない? レハト様と話しているのは楽しそうだったけど、彼女ももう成人されて以前のようにとはいかないから、気を張っているんじゃないか?」

 言われて近くにあった水鏡に己を映す。揺蕩う水面に映るその顔は、確かに少し疲れているようにも見える。

「……大丈夫。ただ、久しぶりにあちこち歩き回ったから、疲れちゃったのかも。運動不足ね。もっと体鍛えなきゃ」

 笑って誤魔化すモゼーラを、夫は優しく抱きしめた。

「無茶だけは、しないでくれよ。君は前科があるんだから」

 モゼーラは主日礼拝中に突然倒れたことがあった。ディットンに越してきた最初の年のまだ夫と子を成そうと励んでいた時の事だ。
 夫と褥を共にするたびに、幻となったレハトの姿が浮かんだ。モゼーラの体よりもずっと大きく逞しい、男性の姿を。
 いもしない男性に罪悪感を覚え、どうしても行為を受け入れられなかった。
 それでも夫婦となった以上、子を成すべきだ。自分を娶ってくれた彼にも申し訳がない。
 そう思いつめ、やがてモゼーラは倒れたのだ。
 ベッドで目を覚ましたモゼーラに、夫はもう無理をしなくていいのだと、少し悲しそうに微笑んだのをよく覚えている。

「モゼーラ。子どもも神官という職も確かに大切だ。けれどね、僕にとって何より大切なのは君なんだ。だから、君がそうして無理をしているのは何よりつらい」
「……ごめんなさい」
「違うよ、モゼーラ。こういうときは、ありがとう、だろう?」
「そうね。……ありがとう、貴方」

 その日は久しぶりに夢を見ずにぐっすりと眠ることができた。




***




 その日から、夫は自分の代わりに何かとレハトと話をしてくれるようになった。レハトに悟られないようさり気なくレハトの興味を引いてくれるおかげで、レハトは夫の側によくいるようになった。
 レハトから離れられる分、モゼーラの精神を削るような激情は治まったが、代わりに別のものに悩まされるようになった。


「最近寵愛者様ってゼラールとよく一緒にいますね」
「ああ。確かお世話係りはモゼーラのはずだったんだけど、ゼラールの方が一緒にいる気がするな」
「もしかして……?」
「馬鹿。ゼラールはモゼーラ一筋だろう」
「でも、寵愛者様って綺麗ですし、あんな風に笑顔向けられたら以外とコロッと落ちるんじゃないですかね?」
「お前な……。それ、他の奴には絶対いうんじゃないぞ。俺だからまだいいものの、ディットンの神殿でそんな不謹慎なことを言うなんてと大目玉くらうぞ」
「はーい」
 
 神官は聖職とはいえ、人間だ。清廉潔白であることが理想とされるが、人の好奇の感情は捨て去ることはできない。王城ほどではないものの、そんな噂話が囁かれるほど、二人は共にいた。
 和気あいあいと話をする二人の笑顔を見ていると、嫉妬がチクリと胸をさした。
 夫は自分の体を気遣っているのだ。感謝こそすれ、こんな感情を抱くなど失礼だ。レハトに対しても寵愛者への敬意と準神官に対する気遣いはあれど、下心などないだろう。
 けれど。けれど、レハトはどうなのだろうか?
 彼女が何故ヴァイルの側近を辞め、準神官としてここまで来たのか、ずっとその意図が理解できなかった。
 だが、今ならわかる気がする。彼女はきっと、モゼーラに復讐しに来たのだ。彼女と結婚の約束を交わしていながら、篭り中に別の人間と婚姻を結んだモゼーラを許すことができなかったに違いない。
 だから、モゼーラから夫を奪おうとしているのだろう。
 自分はレハトを裏切った。レハトの怒りも恨みも当然のものだと思うし、レハトがそれを自分にぶつけるのなら仕方がない。
 だが、夫はレハトに危害を加えた訳ではない。復讐をするのであれば、自分一人にするべきだ。
 夫がレハトになびくとは考えられないが、妙な噂がたっていることは事実。これ以上話に尾びれが付かない内に決着をつけなければいけない。
 明日、きちんとレハトと話をしよう。
 アネキウスを仰ぎ、モゼーラはそう決意した。





***



 レハトは朝が早く、まだアネキウスが月の面影を残している時分にはもう目覚めて庭を散歩している。
 この時間帯は宿直の者以外は眠りについており、静かに話をするには申し分なかった。

「あれ。今日早いね。どうしたの?」

 薄闇の中から突然現れたモゼーラに一瞬驚いたが、レハトはいつものように笑った。

「……レハト様、お話しがあります」

 緊張で口内がカラカラに乾いていて舌を動かしにくく感じた。
 モゼーラの真剣な雰囲気を感じ取ったのだろう、レハトはしばらく無言でモゼーラを見やった後、空を見上げた。

「……わかった。ここじゃなんだから、祈りの穴に行かない? この時間はまだアネキウスが陽に戻っていないから、人もいないんだ」

 レハトの先導で、祈りの穴にたどり着く。彼女の言った通り、辺りには人気はない。明かりもないため薄暗く、夜気を微かに残しているそこは普段とは違う顔を見せていた。

「……実はさ、私も話があるんだ。先に言ってもいい?」

 こちらを振り返ったレハトの顔は少し強張っていた。
 何を言われるのだろうかと、モゼーラにもその緊張が伝播する。

「って、そんな警戒しなくても大丈夫よ。モゼーラに害のある話じゃないから」

 緊迫した空気をやぶるように、レハトは茶化し、そして告げた。
 神殿議員の一人と養子を結ぶ約束をしており、明日からその一族の家でお世話になること。だから、モゼーラやゼラールも世話役を外れること。

「この一カ月、いろいろありがとう。久しぶりにモゼーラと話せて楽しかったよ」

 話し終えたレハトは晴れ晴れとしていたが、対してモゼーラには困惑に包まれていた。
 彼女は自分に復讐するためにここに来たのではなかったのか。何故こうあっさりと去っていくのか。それとも、これさえも自分をからかうための策なのか。
 顔に出ていたのだろう、レハトは気まずそうにモゼーラから目を逸らした。

「――何故、ディットンまでやってきたのですか? 神官になりたいのなら、王城でも可能です。わざわざ何故、ここまで」

 若干震えたモゼーラの問いに、レハトが視線を戻す。髪と同じ金の瞳がまっすぐにモゼーラを捉える。そこには何の感情も浮かんでいないように思えた。

「……私が、憎かったからですか。貴女に何も知らせず別の方のところへ嫁いだからですか」

 そもそも、先に裏切ったのはそちらではないか。
 声に滲む責めを感じ取ったのか、レハトは悲しそうに首を振った。

「違う。私には、貴女の決断を咎める資格なんてない。ここに来たのは……ただ、知りたかっただけ」
「……何を?」

 彼女は一度口を開いたが、すぐにまた閉じた。言うべきか言うべきでないか、迷っているようだったが、諦めたように息をつき、告げた。

「貴女のことは神殿から定期的に話を聞いていたの。突然結婚して行ったから、どうしても気持ちが整理できなくて。本当に貴女とゼネーラが愛し合って結婚したのかどうか、疑問に思っていたのも理由の一つね。聞き及ぶ貴女達はとても仲のいい夫婦だと。だけど、五年経っても子どもは生まれない。だから、自分の目で確 かめようと思った」
「……疑問は、解けたんですか?」
「ええ。ゼネーラが教えてくれたわ。貴女達は子どもを作る気がないってことを」

 ここ最近ゼネーラと接触していたのはそのことを探っていたのか。
 きっと夫はモゼーラが拒絶反応を示したことは伏せてくれたのだろう。

「ねえ、モゼーラ」

 金の瞳に浮かんだそれは後悔ともとれた。

「私が何故女を選んだのか、知りたいでしょう?」
「えっ……」

 今までその話には一切触れなかったため、彼女から切り出されたことに動揺した。

「信じてもらえるかわからないけれど、私、本当に貴女と結婚するつもりだったの」
「じゃ、じゃあ、なんで……!」
「分からなくなったのよ。貴女が私自身を愛してくれているから結婚したいのか、それとも結婚して子どもが欲しいから私を選んでくれたのか。印目当ての可能性も大いにあった。……今思えば、馬鹿な猜疑心よ。けれど、あの時は本当に悩んでいた。貴女の言葉を笑顔を信じたいのに、好きだからこそ、疑った」

 彼女は祈りの穴を見上げた。そこには徐々に太陽へと姿を変えていくアネキウスの姿がある。

「私は愚かだった。貴女はまっすぐに人を愛する人だったのに。それを信じられなかった。貴女の気持ちよりも、自分を優先した」

 それはモゼーラに語りかけるというよりも、懺悔に近いだろう。

「でもゼネーラは貴女のことを一番に考えている。深く、貴女のことを愛しているのね。私はあの人と知り合って一カ月たたないけれど、そのことはよくわかったわ。……完敗よ。貴女達が仮面夫婦であるなら、思いっきりひっかきまわして離婚に追い込もうと思っていたのに」

 悪戯めいた笑みを浮かべた彼女は、けれどこらえきれず一筋涙を流した。

「……レハト様」

 思わず手を伸ばしたが、レハトはひらりとそれを避けた。

「私、この徴を与えられてね、感謝しているの。これのおかげで城に連れて行ってもらえて、貴女に出会えた。だけど、時々酷く憎く思うこともあった。皆、私ではなく、徴を見るから。愛されているのは私じゃなく、徴だと思ってしまうから」

 否定したかった。自分がレハトのプロポーズを受け入れたのは、印持ちだからではなく、レハトだったからだと言いたかった。
 けれど、揺れるレハトの瞳がそれを言うなと止めた。

「神殿議員になって、いつか大神官長を目指すつもりよ。そのために、養子になったの。大神官長様がいうにはね、大神官長になればこの徴の意味がわかるらしいの」

 彼女の細い指が徴にそっと触れた。

「私は、知りたい。何故神がこの徴を私に与えたのか。それにはきっと、なんらかの意味があるはずだから。……こんな人間が神殿の頂点になるなんて不快だろうけど、どうか許して頂戴ね」

 モゼーラの返答を待たず、レハトはその場を去った。

「旦那さんと、どうかお幸せに」

 その一言を残して。
 一人呆然と立つモゼーラは先ほどのレハトの言葉を何度も頭の中で反芻した。
 じわじわと寂寥感と喪失感が胸に広がっていく。今までの彼女との思い出が走馬灯のように流れる。

「……レハト、様」

 もう届かない人の名前を呼ぶ。
 涙で歪む世界は、陽の姿を取り戻したアネキウスの光に照らされ始めていた。




***



 今日もモゼーラはお勤めに励んでいた。
 多くの参拝客や神官で、神殿は今日も賑やかだ。

「モゼーラ、そろそろ食事をとったらどうだい? 一日中働いて、まともにとっていないだろう?」

 ぽんと肩を叩いた夫の言葉に頷いて、その場を離れようとした時、辺りがにわかにざわついた。

「あっ、寵愛者様だ!」
「大神官長様! 是非我が子に祝福を!」

 入口に現われたその人はあっという間に人々に囲まれた。にこやかに握手や会話を交わしているのが、人垣の隙間から垣間見える。

「レハト様、大人気だね」

 隣に立つ夫が自分のことのように嬉しそうに囁いた。

「本当にすごいよね。寵愛者だからといっても、わずか数年で大神官長に上り詰めるなんて」
「……そうね」
「今は新任したばかりで忙しくてなかなか話ができなくて寂しいだろうけど、きっとその内また前のように時間もとれるようになるさ」

 先週大神官長に任ぜられた彼女は今先代から引き継ぎを受けている真っ最中だ。先代の授ける情報の中には、彼女の求めた徴の意味も含まれているだろう。
 きっと彼女は真っ先に聞いたに違いない。
 己の人生を大きく変えたそれの意味を、彼女はどう思ったのだろうか。
 人々と会話を交わすレハトの顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。あの頃と同じ、無邪気な笑顔だ。

「モゼーラ、そろそろ行こう。今日は人が多いから、食堂も混んでいるのかもしれない」
「ええ、そうね」

 急かす夫とともに、モゼーラは振り返ることなくその場を立ち去った。

PR

このサイトについて

かもかて、ダンマカの二次創作サイト。
恋愛友情憎悪殺害ごっちゃにしておいています。

管理人:紅葉
since 2013.08.20

リンク

ブログ内検索

Copyright © かえるで : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]