新国王が王座に就き、五年が経った。
突如発表された二人目の候補者の存在と譲位に国民たちは一時困惑したが、今ではそれにも慣れた。庶民出であることと民衆にも気を配るその政治手腕にレハト国王陛下と慕うものも多い。
前王リリアノも彼らに気を配った政を行っていたが、生粋の貴族であるため、レハトほどは好感を抱かれてはいなかった。
(これも考えて、五代はレハトを王にしたのかねえ……)
豪華な壺や花瓶が規則的に飾られている廊下を歩きながら、トッズは心の一人ごちる。
数週間の遠征を終えて帰還したばかりの体には微かに疲労を感じるが、休むほどではない。それに、早く報告を済ませたい。
「あれ、トッズさん、今帰ってこられたんですか?」
かけられた声に顔を上げると、洗濯物を抱えたサニャが笑顔でこちらにかけてくるのが見えた。
「久しぶり、サニャちゃん。そうだよ、今戻ってきたとこ。帰還してすぐにかわいい子の顔が見れるなんて嬉しいな」
「や、やだ、トッズさん、からかわないでくださいよ!」
赤くなった顔を隠すように、彼女を洗濯物を持ち上げた。
この五年何度も褒めているのだが、未だ恥ずかしがる彼女が素直にかわいいと思った。
トッズは純粋な人間が好きだ。己に持っていないその輝きには尊ささえ感じる。
だから、トッズは密かに王付きとなったサニャをいびる人間をこらしめたことがある。正確にはレハトの命令なのだが。
サニャはレハトにとって数少ない心を許せる人間だ。王には敵が多い。慎重に選んでいるとはいえ、使用人とていつ敵勢力に呑みこまれるかわからないのだ。
その点、最初からレハトの力を信じ支え続けたサニャはこれ以上ないほど信頼における人間だろう。
「あ、トッズさん、今からレハト様のところに行かれるんですよね? これ洗濯係りさんに渡したら、すぐにお茶をいれますです」
「ああ、ありがとう。でもそんなに急がなくて大丈夫だよ。ゆっくりね」
わかりました、と頭を下げて去ろうとしたサニャは、ふと足を止めて振り返った。
「あの、トッズさん、一つ聞いてもいいですか?」
周りを気にしているのか、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声でサニャは問う。
「その……レハト様とトッズさんは恋人関係なんでございますでしょうか?」
「……あー」
自然に零れる苦笑。ここ数か月でレハトと自分の中が誤解されているのは気付いていたが、サニャにまで勘違いされているとは思わなかった。レハトと話している時など恋人のような甘い雰囲気は一切ないのだが、噂が大きくなると信じてしまうのだろうか。
「あの、もしそうでしたら、サニャが途中で入るのはお邪魔ですよね? やっぱり、今すぐにお茶を淹れて立ち去りますです!」
洗濯物を抱えてレハトの部屋へ向かおうとしたサニャの肩を掴んで止める。
「えっと、サニャちゃん。それは誤解なんだよ」
「え」
「確かに俺とレハトは仲がいいし、よくサニャちゃんに退席してもらって二人っきりになるけど、それはあくまで仕事の話をしているからで。全然そういうのじゃないから」
ぱちくりと数度瞬きをしたサニャはすぐに顔を赤くして、頭を下げる。
「す、すみませんです! 私とんでもない勘違いをしていました!」
「はは。まあ、誤解されても仕方ないからね。ほら、顔あげて。かわいい顔が見れなくて、俺寂しいよ」
再度頭を下げて去っていくサニャの後ろ姿を見ながら、ため息をつく。
ああして誤解されるのはある意味仕方がないのかもしれない。国王と侍従の間柄とはいえ、成人した男と女が密室で二人きりなのは勘ぐられる要因だ。
それに、レハトにもそう思われて仕方ない原因がある。
「――っと。俺もそろそろ行かなくちゃ。遅くなると陛下がお冠になる」
誰にいうでもなく呟いて、レハトの部屋に足を向けた。
***
「ああ、帰って来たのか」
ぼんやりと湖にせり出したベランダから外を眺めていたレハトは、トッズの姿を見てやんわりと笑んだ。
「すまない、今サニャは出かけていてお茶は出せないんだ」
サニャ以外にも使用人は複数いるが、レハトは彼女のお茶以外は飲もうとはしない。そのため、彼女が不在の時はお茶は出てこない。他の客の時は出してはいるが(レハトは一切手をつけないが)、トッズの時はサニャが戻ってくるまで待つのが当たり前になっていた。
「ああ、さっき会ったよ。相変わらず初々しくてかわいいね」
レハトの横顔に一瞬憂いが走る。もう一度見やるともう普段の冷静な顔に戻っていた。
「…………」
気のせいだとは思いたいが。職業柄、こうした些細な変化を見間違えることはない。
「まあ、とにかく入ってくれ」
「へいへい。じゃあ、失礼いたしますよ」
気づかないふりをしてわざとおちゃらけ、レハトの指した小部屋に入る。
小部屋という名称ではあるが、広さは十分にあり、調度品も一級品のものばかりだ。上流貴族の部屋と言われても納得してしまうほどで、さすがは国王と初めて来た時は思ったものだ。
仕事絡みの話は全てこの部屋で行っている。防音性も高いこの部屋は密談にぴったりの場所なのだ。
「……で、どうだった?」
「のんびりとしていい所だったよ。領主も噂通りの真面目な人間で、領民にも慕われている。税にも不正は見られない。反乱などの不穏な影もないね」
「そうか」
報告書を手渡そうとした時、一瞬レハトの手に触れた。
「あ、ごめん」
「……いや」
無垢な未分化のように頬を染めたレハトに嬉しさと同時に困惑が湧き上がる。
以前のレハトなら平然とした顔をしていたはずだ。だが、ここ数か月で彼女の言動には今のようにトッズへの思慕を感じることが多くなった。
レハトには確かに好感を抱いている。だが、それは恋情ではなく、友情だ。
「……そういえばレハトってさ、結婚しないの? 結婚の申し込み、山ほどきてるでしょ?」
笑顔から一転、顔が強張る。印持ちを期待した周りのものからもさんざん言われている言葉なので、うんざりしているのだろう。
「浮いた話もないし。……もしかして、レハトが好きなのって俺だったりして?」
冗談めかして笑う。
きっとレハトの性格ならば、否定するはずだ。
「…………そうだと言ったら、トッズは結婚してくれるのか?」
予想もしない言葉に固まる。顔を赤くしてこちらを見つめるレハトの瞳は真剣そのものだ。
「えっと……」
レハトに恋心は抱いていない。だが、この真っ直ぐな告白を断るのも躊躇われる。恋人として過ごすうちに、いつしか恋情を抱くようになるかもしれない。しかし、抱かなかったら? それはさらにレハトを傷つけることになるだろう。
なかなか答えを出さないトッズに、自分の想いは受け入れられなかったのだと思ったのか、レハトは俯いた。
「……あのさ、レハト。今すぐに答えを出すことはできないけど――」
慌てて言葉を連ねるうちに気が付いた。
レハトの肩が、小刻みに震えている。
「――レハト」
「っく、はははは!」
たがが外れたように、大笑いするレハトに脱力する。
「はは。済まない、これほど見事に引っかかるとは思わなかったのでな」
目じりに浮かぶ涙を拭いながら、レハトは悪戯小僧のような憎らしい笑顔を浮かべる。
「よく数か月もかけてやってくれたな」
若干の苛立ちを込めて呟くが、当の本人はどこ吹く風だ。
「いや、お主がなかなか確かめてこないから、引っ込みがつかなくてついついそのまま続けてしまった。でも、お主を騙せたということは、私の演技もなかなかのものだということだな」
「……まったく、からかうにしてももっと違うことにしてほしいね。変な噂がたっているし、サニャちゃんにまで誤解されたんだから」
「サニャにも? それは申し訳ないことをしたな」
タイミングよく、ドアがノックされる。
レハトがそれに応えると、お茶とお菓子を乗せたトレイを持ったサニャが入ってきた。
「お待たせしましたです。丁度お菓子が焼きあがったところでしたので、持ってきました。あっつあつでおいしいでございますよ!」
その言葉通り、焼きたての菓子からは甘い匂いが漂う。
「ああ、おいしそうだな。サニャも一緒に食べよう」
レハトの誘いにサニャは嬉しそうに了承の返事をし、てきぱきと茶を淹れるとレハトとトッズの間の席に座った。通常であれば主人と侍従が席を共にすることはありえないが、二人は主従である前に友人だ。この小部屋のみではあるが、こうしてちょくちょくお茶をしている。
「……そういえばサニャ。私とトッズが付き合っているとの噂を聞いたらしいな?」
「あ、……もうしわけございませんです! 私、すっかり信じ込んでしまいまして」
「あながち、嘘でもないけどな」
「えっ」
「レハト、からかうのはやめなって! サニャちゃんはお前と違って純粋なんだから、信じちゃうでしょ」
旅先の話をしたり不在の間の城の様子を聞いたりしながら、楽しい時を過ごす。お茶もお菓子もおいしく、気心のしれた友人と過ごせるのはこれほど心安らぐのかとしみじみ思った。
サニャは他に仕事があるからと、ある程度してから退室した。
「……さっきの話に戻るけどさ。レハト、本当に結婚する気はないの? いろいろ周りがうるさいでしょ。誰か好いている奴がいればそいつと結婚すればいいし、いなくても名目上だけでも王配になるのを喜ぶ連中はごまんといるんだし、適当にだれか選んだほうがいいんじゃない?」
「最近は噂のおかげで大分静かになったぞ。……まあ、周りは関係なく、私は生涯誰とも結婚する気はないな」
レハトは窓の向こうに広がる空を見上げる。その先には雲一つない青い空と城に住み着く鳥が飛んでいる姿があった。
「私やヴァイルが子を成さずとも、神の手によって七代は現れる。それに、配偶者も子どもも私には不要だ。家族は母一人きり。それくらいの方が気楽でいい」
「そうか。まあ、俺も気持ちはわかるな。独り身のほうがきままに過ごせるし。陛下の無理な注文にも応えられますし」
「……それに、私はこの国がなにより大事だ。リタントを発展させ、豊かにする。小さな村も病気や飢餓で死ぬことがないように。それに、人生を捧げているんだ」
前を向いて淡々と語るレハト。普段と変わらない態度であるが、その瞳は夢を追う子供のようにキラキラと輝き、澄んでいる。
(あーあ)
心の中で苦笑する。
(ほんと、ずるいよな。言ってることは理想論なのに、それがいつか実現できるかのように思わせるんだから)
しかし、だからこそ、この継承者に力を貸したいと思ったのだ。いつもは大人ぶってすました顔をしたレハトがこうして目を輝かせて語る夢。それが叶うのをこの目で見るのがトッズの楽しみだった。
「はいはい。どこまでもついていきますよ、国王陛下」
友人の言葉にレハトの唇は嬉しそうに弧を描いた。
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