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ダンス・マカブルプレイしました!

小麦畑さんの新作、「ダンス・マカブル」をプレイしました!
ゲーム自体もおもしろかったですし、その後気になった単語を調べてみると、一つ一つに意味があって、驚きました!
ネットで色々調べて、「ここはこういう意味があったのかな?」と思ったことをつらつらと書きました。



以下、続きを読むからどうぞ。

拍手[19回]




マップは人体を模している
ダンス・マカブルの舞台は少々特殊な形をしています。最初は「面白いマップだな~」とくらいにしか思っていなかったのですが、ふと聖書の置いてあった部屋が人の腰骨にそっくりだと気付いて、他のマップも調べてみたら殆どの部屋が骨や手足、臓器などを模していることがわかりました。
分かる範囲で記述します。

後陣=頭蓋骨
梯子=腕
鐘楼=手
身廊=腰骨
側廊=足
円陣=へそ
ラビリンス=腸
貯水池=すい臓
調合室=胆臓
地下礼拝堂=胃
納骨堂=肝臓
内陣=心臓
控え室=脾臓
船着き場=子宮

以後、これを前提に話をします。



アルエットは何をさせられようとしているのか

どうして人体をモチーフにしているのでしょうか。
それはプレイヤー及び、アルエットが行おうとしているのが、キリストの磔刑だからです。
キリストは全人類の罪を背負い、彼らの代わりに十字架に磔とされました。キリストの尊い犠牲により、人々の罪は許されることになったのです。
アルエット達はそれと同じことをしようとしているのです。ただし、このマップの人体には子宮がありますので、磔にされるのはおそらくアルエット自身でしょう。
アルエットやラザール、村の人々。そして死去した人を含む全ての人間。彼らの罪を許してもらうために、アルエットは自身の両手両足に釘を打ち込むのです。
この磔刑にはもう一つ欠かせないものがあります。茨の冠です。この茨の冠はキリストが処刑される(罪を背負う)時にユダヤの王の証としてかぶせたものです。つまり、「茨の冠=罪の冠」なのです。これはエンド2でアルエット本人が言っていますね。
茨の冠は頭蓋骨の天辺に置かれていますので、磔となるアルエットがかぶっています。茨の冠は罪の象徴です。このまま持っていってラザールにかぶせれば、彼は罪を背負っていかなければいけなくなります。
罪を許されるためには磔を行わなくてはいけません。茨の冠を頭上に掲げたまま両手両足に釘を打ちつけることで、茨の冠は月桂樹に変わります。月桂樹は魂の浄化を意味します。月桂樹を授けられることで、人々の罪は許され、魂は神の元へと導かれるのです。
罪を許してもらったアルエットは、子宮である船着き場に乗って、外に出ます。これは誕生、つまり復活を意味しています。



不幸の元凶

ペストマスクをしている神父(ペスト医師)やペストを想起させるネズミなどが登場するこの物語には、ペストが大きく関わっています。
ペストは14世紀ヨーロッパで大流行した伝染病で、罹ると8割の確率で死に至ります。ペスト菌はまずリンパ腫に感染し、そこから肝臓や脾臓、心臓、血液など様々な器官に感染していきます。ペストが重症化すると血液などにペスト菌が流れ、それが体中に散らばり敗血症を起こすと、皮膚に黒い斑点ができ、死に至ります。そのため、ペストは別名を黒死病とも呼ばれています。
アルエットの村から次々と人々が出ていったのは、ペストが蔓延したからでしょう。ペスト感染者がでると、患者だけでなくその家族も外出が禁じられます。アルエットに声をかけた夫婦の会話を見るに、アルエットの父親はペストに感染してしまったのでしょう。そして村で一番初めのペスト患者と認定されました。
おそらくですが、この村にペストを持ちこんだのはラザールでしょう。彼は街へ行った時にペストに罹ってしまった。街は空気が悪いと言っていましたが、それもペストが関係しているのかもしれません。
何故村にペストを持ってきたラザールではなく、アルエットの父が一人目のペスト感染者になったのでしょうか。
それにはラザールの症状が関係しています。ラザールは倒れる直前、ひどい咳をしていました。ペスト菌は肺に感染することがあり、ラザールは肺ペストを患っていたのでしょう。極めて珍しい症状ですが、罹ってしまうと数日でほぼ100%死に至ります。
倒れる直前のラザールは咳をしていることを除いて、健康そうに見えます。ペストの特徴の黒い斑点も見当たりません。そのため、ラザールは肺炎など別の病気と判断されたのでしょう。
ペスト菌は感染者の咳から移ることがあります。彼はアルエットの前で何度か咳をしていました。彼の咳からアルエットの服などにペスト菌が付着し、それがアルエットの父に感染してしまったのでしょう。
そして、ペストはラザールや父親だけでなく、アルエット自身にも魔の手を伸ばします。ダンス・マカブルのマップはアルエット体を模しています。彼女の肝臓や脾臓は、酷い瘴気で汚され、彼女の体のあちこちにはペストを現すネズミが蠢いていることからも、彼女がペスト感染者であることが推測できます。



プレイヤーの選択は大きな意味を持つ

話は戻りますが、この物語はキリストの磔のように、アルエットの体に釘を打ちつけることによって、人々の罪を許してもらうことが目的です。
エンド1もエンド2もプレイヤーがアルエッタを導いて、頭蓋骨に置かれていた冠をラザールに渡しました。どちらも同じ行動のように思えますが、大きく違います。決定的な違いが、被せたのが「茨の冠」か「月桂樹」かです。
船着き場でのアルエットの台詞で「プレイヤー=神」ということが明示されています。プレイヤーの決断は敬虔な彼女にとって絶対です。
エンド1ではプレイヤーはアルエットに月桂樹を与えます。月桂樹は魂の浄化。それを神たるプレイヤーがアルエットに持たせる=人々の罪が許された、ということになります。そのため、アルエットは神に深く感謝し、人々のために生きていくという道を見つけるのです。
ところが、エンド2はエンド1のアルエットと正反対です。
先述のように、茨の冠は罪の冠です。罪を背負わなくてはいけない人間が授けられるものです。プレイヤーはそれをアルエットに取らせ、ラザールにかぶらせるように指示しています。この行動はアルエットの目にどう映るでしょうか。
「絶対の神が罪の冠を授けた。自分たちの罪は許されることはない」と解釈するでしょう。それが神の意志だと。



アルエットの言う「怒りの日」とは

エンド2で街を歩いているアルエットはこう語ります。「彼らもまた、気づくでしょう。怒りの日が訪れていることに」
怒りの日とは全人類を地上に復活させ、生前の行いによって、神の御元で永遠の命を与えられるかそれとも地獄へ落ちて永劫苦しみ続けるかを決める最後の審判が行われる日です。
怒りの日が訪れている、とはどういうことでしょうか。個人的にこれには二通りの解釈があると思っています。
一つが最後の審判を行うのがアルエット、という解釈。アルエットはペストに侵されています。その証拠に、エンド2の立ち絵には黒死病の証である黒い斑点があります。ペストは致死率の高い感染病です。そんな病気を患った彼女が人の多い街に行ったらどうなるでしょうか。
当然、ペストに感染する人が続出するでしょう。そして、患者の殆どが死んでしまうでしょう。
彼女はそれを「最後の審判」だと思っているのです。神が自分をペストにしたのも、あの教会で導いてくれたのも、すべてがこの為だと。最後に現れる「疫病の少女」というタイトルと人々に説法しているアルエットになんとも言えない気持ちになりますね。
もう一つがこの世がもう既に地獄だったのだ、という解釈。アルエットの世界ではペストが蔓延しています。感染したものは苦しみ、最後には皮膚が黒くなって死んでしまいます。人々は恐れおののき、半狂乱になる者も少なくありません。まさに、地獄絵図です。だからアルエットはこの世界が地獄だと思い込んだのです。
「この世界からいなくなった者は神に祝福された者、ここに残っているものは許されない罪を持つ者」だからアルエットは少しでも罪を贖えるよう、人々に説法して回っている。けれど疫病に侵されているから、そう長くは生きられないでしょう。
アルエットの言葉やスチル、タイトルなどから前者の方がしっくりくるなと思いますが、後者の解釈も結構好きです。



選択肢を選ぶということ

茨の冠は持っていくか置いて行くかの選択肢が出てくるので、一旦は置いておこうって思う人も多いと思うんですけど、月桂樹に変わるのって最後の方なんですよね。だから、しばらくしても変化がなかったので持って行くことにしたって人もある程度いるんじゃないかなと思います。「ここまで放置しても何も変化ないから、必要な時にないってのは困るから持って行っとこう!」みたいな感じで。私がそうでした。
私はプレイ時、茨の冠の意味も月桂樹の意味も知りませんでした。だから特に深く考えずに茨の冠を取らせてラザールに渡すように指示しました。結末を見ても、アルエットがペストをまき散らそうとしているのにも気づかなくて。一人きりとなった村を出て、神父と旅ができてよかったねくらいにしか思っていませんでした。
だから、茨の冠の意味を知って衝撃を受けました。この教会から早く出られるようにと良いと思ってしたことが、逆に追い詰めるようなことになっていたなんて。「これで助かりますよ」と助け舟をだしたつもりが、「貴女達は永劫苦しむべき存在です」と突き放していたとは思いもしませんでした。
でも、選択するってこういうことなんですよね。良かれと思って選択したことが悪い結果につながることもあるし、その逆もある。
茨の冠の意味を知った今、エンド2をプレイする時はアルエットに罪を背負わせることを自覚しながら茨の冠を持たせないといけないので、初週と違って茨の冠を取るのを躊躇しそうです。



ダンス・マカブルはアルエットに与えられた最後の審判

物語の冒頭に、運命を嘆くアルエットの台詞があります。どうしてこんな結末になってしまったのかと神に問うています。この嘆きは神に救いを求める声。だから、神は彼女に一度だけのチャンスを与えたのです。
ダンス・マカブルはこのアルエットの嘆きの言葉から物語が始まります。天から射す光に照らされた彼女の周りには無数にうごめくネズミの姿があります。このネズミは彼女の体に巣食うペスト。それがアルエットをじっと見ている。隙あらば彼女を蝕もうとしています。
ネズミたちはアルエットを取り囲むようにしていますが、決して光の中に入ってこようとはしません。それも当然です。この光は神の御光です。触れればネズミは消えてしまうでしょう。
御光は彼女を守っています。彼女が救うに値するかどうか、プレイヤーが判断できるように彼女を害するものを遠ざけているのです。逆に犬のように、アルエットが敵と思って怯えている存在が本当は敵ではないと教えることもあります。
ラザールはアルエットを死の世界に招こうとしているので本来であれば彼女に危害を加えるものですが、アルエット本人はラザールのことを大切に思っているので、敵認定はされないのでしょう。これは後述します。
プレイヤー(神)はアルエットを導き、彼女の言動、過去など様々なものを見ます。それを見たプレイヤーが彼女を許すかどうかは個々の判断に委ねられます。同じ言動でも、彼女の罪を許し祝福を与えることもあれば、逆に罪を背負わせることもあるでしょう。彼女が救われるかどうかはプレイヤー次第なのです。
基本的にはプレイヤーがアルエットの結末を決めますが、一つだけ例外なのがエンド5。このエンドはアルエットが疲れ果て、元の場所に戻ります。御光が当たると、彼女は願います。ここで終わりにしてほしいと。彼女は自ら救いを拒みました。神はそのアルエットの願いを聞き届けて静かに光が消えていきます。そして、彼女は罪を抱えたまま永久の眠りにつきます。



神父の役割

ダンス・マラブルはペスト患者のアルエットが神の審判を受ける物語です。ですが、神だけでは彼女を救うことはできませんでした。神父と言われたペスト医師の存在がなければ、彼女を導くことはできなかったでしょう。
神父はたった一人村に残されペストと戦っているアルエットの治療をしていました。この物語は人体を模したアルエットの心の中が舞台となっています。ですので、死者となったラザールはともかく、生者である神父はそこに行くことができません。
しかし、実際に神父はアルエットの世界に現れています。これはおそらく、神父が必死にアルエットの治療を行っていたことが関係しています。
最初に神父と接触した時のイベントでは神父が痛がるアルエットを刺しています。通常他のイベントは回想として少し白い靄がかかっているのですが、これにはそれがありません。つまり、このイベントは過去の記憶ではなく、今現在起こっている出来事なのです。
当時、ペストの主な治療法は瀉血でした。あのイベントでは神父は治療のためにアルエットに瀉血を行っていたのです。また、ペスト治療にはハーブや祈りも用いられます。ところどころに出てきた聖書の言葉はアルエットの回復を願った神父が唱えていたのでしょう。聖書の謎解きも、神父がアルエットの完治を祈って十字を切ったものだと思われます。通常、十字を描くときは上→下→右→左となりますが、この時神父は伏せていたアルエットの左隣に立っていたので、アルエットの世界では右→左→上→下となったのです。そうした神父の祈りがアルエットの意識に届き、あのような形で彼女の世界に登場したのではないでしょうか。
アルエットを治療する神父は彼女の守護者です。事実、神父は彼女に一切危害を加えてきません。(アルエットが恐怖から正気を保てなくなり、エンド5に行くことはありますが)
登場シーンで狂ったように黒い異形のものを攻撃していたのも、アルエットの為。あの場面では既に釘を使用してしまったので、彼女はそれ以上先に進むことができませんでした。そのため、神父は彼女の妨げとなる異形のものを攻撃して彼女に道を作ってあげたのです。



何故、ラザールは内陣に閉じ込められたのか

神父が攻撃したのは異形のものだけではありません。アルエットを死者の世界に招こうとしているラザールも神父は看過することができませんでした。結果、ラザールは神父から逃れるために、内陣に閉じ込められることになります。
神父はおそらく、ラザールの存在を消すことも可能だったでしょう。アルエットに危害を加えないようにラザールの自由を奪いましたが、それでも彼の存在を消すことはしませんでした。
アルエットにとって、ラザールは心の支えとなる人です。その証拠に、彼の墓石は脾臓に建てられています。脾臓は心臓と密接な関係にある臓器です。心臓が傷ついた時は脾臓が心臓を修復する手助けをします。心臓=アルエットの心です。心を癒す脾臓にラザールのお墓があるということは、それほどラザールの存在はアルエットの心に深く根ざしているということでしょう。
もし、ラザールを消してしまえばどうなるでしょうか。きっとアルエットの心は弱り、そのまま命も尽きてしまうでしょう。
脾臓は心臓を守る臓器です。ですが、脾臓には別の側面もあります。脾臓がなんらかの毒素に侵されると、やがて心臓にもその毒が回り、弱らせてしまいます。ラザールはアルエットの心の支えでもありますが、同時に命を蝕む毒でもあるのです。
四人の泥棒の酢で浄化する前の控え室は、肝臓と同じく瘴気が漂っています。これはペスト菌が原因です。ラザールの墓石は控え室にあります。彼は毒素に侵され、あのようにアルエットを死に招く存在になってしまったのです。
ラザールは心臓に影響力のある脾臓にいます。心臓は全身に血液を送るため、ラザールは血液を介して様々なところに現れることができます。
それを裏付けるのが、彼の登場シーンです。あの時、アルエットが誰かいないか、出入口はないか隈なく探索しても、誰もおらず何も見つかりませんでした。しかし、ラザールはその誰も居なかったはずの背後から現れました。これは彼が血液を媒介にして移動してきた為でしょう。
何処にでも進出可能なラザールの暴走を抑えるには、彼の移動手段を奪って一カ所に閉じ込めるしかありません。追い詰められたラザールが逃げ込んだのが、自分のテリトリーである内陣(心臓)だったのです。



アルエットを守る為に神父がとった行動

ラザールの移動手段は血液。これは仮説というかこじつけに近いのですが、神父はアルエットの血液の全てを体外に出したのではないでしょうか。血液がなくなれば、ラザールは移動できなくなり、心臓か脾臓にいるしかありません。そうして神父は彼を心臓に閉じ込めたのではないかと。
神父の最初のイベントは瀉血のシーンです。ですが、瀉血にしてもアルエットの痛がり方は尋常じゃないですし、神父もやりすぎなくらい何度も何度もアルエットにナイフを振り下ろしています。これは症状が悪化し(ラザールがアルエットに近づいたため)、一刻も早く血を抜かなくてはいけない状況下になったからではないでしょうか。
当然、全身の血を抜けば死んでしまいます。身廊で神の教えが書かれた聖書の部屋で十字を切っているのは、一度息を引き取ってしまった、引き取ってしまうアルエットへ捧げた祈り。通常、人は死ねば生き返りません。ですが、アルエットがやろうとしているのはキリストの磔です。神(プレイヤー)からの最後の審判を受けているのです。一度死んだとしても、復活することができるでしょう。
そして、神父が一気に血を抜くために選んだのが、両手両足、即ちアルエットが聖釘を打ちつけた場所ではないでしょうか。プレイヤーによって釘を打ち込む順番は変わりますが、神父が欠き切ったのと同じ順にアルエットも釘を打ちつけているのでしょう。
アルエットが目覚めた時に神父が十字を切ったのは、無事再生したアルエットへの祝福の意味もあるのかもしれません。(当時のカトリックの祝福は、正教徒と同じく上→下→左→右でした)
少し苦しいですが、神父のモデルは伝染病の守護者なので、こういうのも面白いかなと思います。



ラザールとの決別
ペストの瘴気に狂わされたラザールはアルエットにとっての毒となり、その毒はアルエットを少しずつ蝕んでいきます。
エンド123では共に逝こうというラザールの誘いに、アルエットは「それでもいいと思っていた」と返します。毒に侵されていたアルエットは、生への執着がありませんでした。けれど、神に導かれ、瘴気が消えた今、彼女は本来の自分を取り戻します。
自分を死に誘うラザールの手を取ることは自殺行為です。キリスト教は自殺を重大な罪としています。敬虔なクリスチャンであるアルエットがその手を取ることなどできるはずがありません。
そして、アルエットはいつか神の御元で会おうとラザールを送り出します。アルエットにとってラザールは今でも変わらず大切な存在ですが、以前の様にラザールの死を引きずってはいません。エンド123のアルエットはラザールの死を受け入れ、自分の使命を果たす為に生きているのです。
神父は内陣に入ることができるので、ラザールを消そうと思えば消せたはずです。ですが、彼はそれをしなかった。アルエットの心がもたないこともありますが、ただ存在を消してしまうだけなら、いつまでもアルエットがラザールの死から立ち直れなくなってしまうからです。
神父はアルエットと一緒に過ごしてきました。そのうち、アルエットがラザールの死を強く引きずっていることに気が付きます。ラザールの死後、アルエットは笑うことができなくなりました。神父と打ち解けるようになってからは笑うことができるようになりましたが、それでも彼女はラザールの死を忘れることはできなかった。
病は気からと言います。アルエットが助かるには、誰かに依存するのではなく、自分の足で立つことが大切です。そのため神父はアルエットの邪魔をしないようにラザールを内陣に閉じ込め、アルエットが自立できるようサポートしていたのでしょう。



ラザールの正体が分かってもアルエットが結婚した理由

内陣に辿りついたアルエットは彼とそこで決別をします。
例外になるのがエンド4です。内陣の中は教会です。教会は夫婦となる男女が神へ永遠の愛を誓う神聖な場所です。
ラザールはアルエットにプロポーズの証として指輪を渡し、アルエットはそれを受け取りました。求婚の意味を込めた指輪を受け取ることは、結婚の承諾の意を表します。指輪を渡した場所は教会ではありませんでしたが、アルエットはラザールからもらった指輪で教会の扉を開けました。教会の神父の前で「ラザールから送られた指輪を受け取った」と自ら証明してしまったのです。
教会の神父は二人の誓いを見届ける証人です。アルエットが結婚を承諾したことを知られた以上、彼の前でそれを否定しなければいけません。
エンド123では月桂樹または茨の冠がその役目を果たします。それぞれ意味は異なりますが、どちらも「ラザールはここから旅立つ存在で、一緒にいくつもりはない」との意思表示になります。なので、エンド123ではアルエットは結婚をせずに外に出られたのです。また、茨の冠、月桂樹は元々アルエットがラザールの幸せを祈って編んだものです。結婚の拒否を示すだけでなく、ラザールがどうか神の御元へいけるように、許されるようにと神への願いも込められています。
指輪で結婚の意を告げられた以上、返答もアルエットの意志がこもった品でなければいけません。そのため、何ももたないエンド4のアルエットは彼と結婚する以外に道はなくなったのです。


ヨハネ黙示録からのダンス・マカブルの考察はこちらから。





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このサイトについて

かもかて、ダンマカの二次創作サイト。
恋愛友情憎悪殺害ごっちゃにしておいています。

管理人:紅葉
since 2013.08.20

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