城の地下深く。湿気が多く、窓から差しこむわずかな光だけが広がる世界。
頑強な檻に閉じ込められた奴らは、ふてぶてしい表情を浮かべるものもいれば、呆然自失でぴくりとも動かないやつもいる。
俺が前を通り過ぎても気に留める奴はいない。命乞いをしても、脅しても、意味がないとわかっているから。
俺も奴らを気にかけず、目的の場所へ行く。
牢獄の一番奥、周りに誰も収監されていないそこに、その男はいた。
「あら、ご飯食べてないの?」
おどけた口調で言ってみるが、男は怯えと警戒を隠さずこちらを凝視している。
「ちゃんと食べないとダメじゃない。そんなんじゃ、飢え死にしちゃうよー?」
鍵を開け、扉を開く。男は体を大きく震わせ、隅の方へと逃げる。
「く、来るな……!」
自分とそう年がかわらない、黒髪の男。元は恰幅がよかったが、ここ一週間ほどまったく飲食をしていないせいか、げっそりとやせ細っている。
食事に何か盛られているのかもしれないと思っているのだろう。
(馬鹿な男だな……)
内心、鼻で笑う。
彼の危惧している通り、食事には毒が盛られている。だが、それは痛みを伴わずに逝けるものだ。この男が今から与えられるものよりも遙かに楽な死に方だというのに。
「はいはい、動かないでよーっと」
ロープを取り出すと、男は必死で逃れようと足掻いた。
如何に自分が哀れかを語り俺の同情を誘おうとしたり、殴りかかろうとしたりと、みっともない姿をさらす。
だが、そんな男の抵抗など俺には無意味。あっという間に男を捕えて、ロープで縛った。
男の腕を抑え、取り出した注射器を確認する。軽く揺すると中の緑色の液体も揺れる。心臓発作に似た症状を引き起こす劇薬。通常、この毒物を用いる時は半分の量で充分なのだが、必ず息の根を止める為に倍の量を用意した。
「ま、待ってくれ! 俺には家族がいるんだっ! 妻と、生まれたばかりの子供が……!」
「へえ。そう。そりゃ残念だね」
「あんたにもいないのか!? 恋人とか家族とか! 自分がいなくなれば、大切な人がどれほど悲しい思いをするのか……わかるだろう!?」
「……ああ、わかるね」
俺の返答に男の顔に僅かに希望が走る。情につけこめば、見逃してもらえると思っているのだろうか。
男は引きつった笑顔を見せながら、自分と妻のなれ初めや子どもの生まれた時などを語る。
どこにでもある、ありふれた話だ。冷めた俺の表情に気づかないまま、男は言葉を連ねる。
「それでさっ、この間家族みんなで旅行にいく計画をしてて――」
「ねえ、あんたさ」
突然話を遮られ、男は困惑する。
「そんなに奥さんや子どもが大切?」
「! あ、ああ! 彼ら以上に大切なものなどないっ! 地位や名誉を失ったとしても、二人の傍にいられるなら、それで構わない! だから、助けてくれっ!!」
「…………じゃあさ、あんたもわかるよな? 大切な人のためなら、どんなに手を汚したって構わないって気持ち」
さあ、と血の気が引いていくのが、なんだかおかしかった。
「いや、ごめんね? でもさ、俺の恋人があんたの死を望んでいるわけよ。だから、大人しく死んでね」
男が反応を見せる前に、その腕に注射する。暴れようとする腕を押さえつけ、中の液体が全てなくなってから解放した。
「あ……あっ…………!」
「まあ、死んだら山で会えるから、それまで向こうで待ってなよ」
その言葉は男には聞こえているのだろうか。まあ、聞こえてようと聞こえてなくてもどうでもいいか。
鍵をかけ、男の叫び声を背に受けながら、俺はその場を後にした。
***
「どうか……っ、どうか、お慈悲を!!」
王の間には年老いた男の哀願の声が響く。
悲痛に満ちたそれは彼の境遇と合わさって聞くものの憐みをさそうが、それを向けられた本人は無表情で彼を見下ろしている。
「レハト様!! どうか、今一度お考え直しくださいませ!」
「――くどい。私は一度言ったことは翻さぬ。お前は私を欺こうとした。その罪は万死に値する。だが、それをあえて軽くしてやっているのだ、感謝こそすれども講義をする権利など、お前にはあるまい?」
「ですが……!」
「それともなにか、お前は苦痛を好むのか? 数年の投獄では足りないと? 望むのであれば、拷問でも断頭台送りにでもしてやるが」
突き放すようなその言葉に、男は唇を噛み締めて俯いた。握りしめた拳からは、血がぽたぽたと流れ落ちている。
「何、数年我慢すれば再び外へと出れるのだ。それまでの間に心を入れ替えよ」
男は応えなかったが、レハトは興味を失ったのか、控えていた侍従に合図をして退出させた。
「……よろしいのですか、陛下」
最近彼女の護衛となった衛士が、躊躇いがちに問うた。後ろに控えていた侍従頭は慌てて彼を抑えようとしたが、レハトがそれを手で制した。
「よろしい、とはどういう意味だ?」
「彼の……彼の罪は、あれほどの罰を受けるほどのものだとは、到底思えません」
「五代も四代も、税収を誤魔化した人間には禁固刑を下すこともあった。私には罪相応と思えるがな」
そう、今までにも故意に王族の目を欺いた人間が投獄される例はいくつもあった。今回の男のケースも、重い量刑とは言い難い。
「……本当に、禁固刑だけなら、ですがね」
含みを持った男の言葉。
「貴方様はこの五年間、何人もの人間をこうして牢獄に入れました。彼らは精々三・四年で出られるものばかりだった。……なのに、実際に牢から出てきたものは一人もいない! 皆、獄中で謎の死を遂げた!」
男の手が腰に差した剣に伸ばされる。侍従頭が慌てて止めようとしたが、間に合いそうにない。
「――あんたがやってることは、ただの独裁政治だ! 気に喰わない人間を全て事故に見せかけ殺していることは、周知の事実だ!」
よく手入れのされた刃が彼女の喉元に向けられる。
こんな状況の最中でさえ、彼女は顔色一つ変えはしない。
「暴虐王、あんたもここまでだ。アラトの仇、討たせてもらう!!」
彼の剣が袈裟がけに彼女を切りつけようとしたが、それは未遂に終わった。
「なっ……、お前は、何だ!?」
羽交い絞めにした男はバタバタと暴れて騒ぐ。
かまってやる必要はないので、それを無視してレハトにこの男の処遇を尋ねた。
「お前の好きにしろ」
彼女はちらりと俺を一瞥してそう呟いた。感情のない瞳は本当にこの男に関心がないようだ。
「りょーかいです。国王陛下がそうおっしゃるのなら、俺の好きにさせていただきますね」
護衛達を引き連れて立ち去るレハトの後ろ姿を見送って、俺は一つため息をついた。
「――さて、と」
男は俺との力の差を思い知ったのか、びくりと体を震わせた。
「大丈夫。あんたは家族や友人の仇を取ろうとしたんだろ? その気持ち、俺、今すっごいわかるから。大事な人を危険な目にあわした奴なんて、それこそ万死に値するよね。わかるわかる。ほんとに許せないよね」
「…………俺を、どうするつもりだ」
「ん? んー、まあ、想像の通りだよ」
人が来る前に終わらせようと、俺は素早く男の首に腕を回す。力を込めると、ごきっと嫌な音が響いた。
男の身体から力が抜けたのを確認して、腕を離した。崩れ落ちた男の処理を面倒に思いながらも、先程までの不快な感情が多少薄らいだことに安堵した。
***
「では、失礼いたします」
そう告げて、侍従は扉を閉めた。
残されたレハトは揺らめく明かりをぼんやりと眺めている。明日は朝早くから謁見が入っているのだが、彼女は眠るそぶりを見せない。
そっと忍び足で近づき、背後から抱きしめる。腕の中の彼女は一切反応を示さなかったが、俺は気にせずその肩に顔を埋めた。
そのままどれくらいの時間が過ぎただろうか。
「――ねえ、トッズ」
ぽつりと、彼女が俺の名前を呼んだ。その声は昼間聞いた国王レハトとは正反対の、酷く弱々しいものだった。
「どしたの?」
「トッズは……私が、怖い?」
腕の拘束を解き、正面に回って彼女を見つめる。
澄んだ瞳が俺を見つめ返す。あの夢に見た、黄色の花によく似た山吹色の瞳。多くの人間を山へと送った今もなお、無垢な輝きを宿しているそれ。
「――まさか。どうして?」
問うと、彼女は口を噤んだ。
答えなど聞かずとも、分かっている。
彼女は今や独裁者。ほんの細やかな帳簿の誤魔化しさえ、自分への反逆として死罪にする。
昼間のあの護衛のような憎しみを胸に秘めている人間は少なくないだろう。家族や友人を奪われたものはもちろんだが、関係のない人間でも、いつ自分にその捌きが降りかかってくるのかわからないのだ。強い恐怖や憤りを抱かれるのも当然だ。
暴虐王。彼女は陰でそう呼ばれている。実際に彼女がその手を地に染めたわけではないが、彼女がこの五年で暗殺してきたものは優に五十を超える。
領主や文官、貴族、庶民、身分や貧富を問わず、殺してきた。
そんな恐ろしい面を持つ自分に、俺が愛想を尽かすのではないかと不安なのだろう。
(なんてかわいいんだろう……)
そもそも、彼女がこうして裏切り者と認定した人間を処刑するのは、俺のためなのだ。
騙された側にも関わらず、レハトはメーレの一件は自分のせいだと思い込んでいる。自分が裏切りに気づかなかったから、俺が断頭台に送られそうになったのだと己の愚かさを嘆いている。
だから、こうして裏切りの種はどんなに小さいものでも潰しているのだ。
俺を映すその瞳は、俺を失うのではないかと怯えている。俺との別れを恐れている。
「……愛しているよ、レハト」
溢れる激情を堪え、彼女に耳にそっと囁く。
今の所、彼女の政の手腕は素晴らしく、そのおかげで不満は表に出てくることは少ない。だが、こうした独裁的な私刑がいつまでも続くはずがない。
己の愛する者のために人を殺し続ける俺達にも、いつか断罪の時が来るだろう。
もし、その時が来たら。俺は彼女を連れてここを去るべきか、それとも共にここで朽ち果てるべきか。
どちらにせよ、大した違いはない。
「――愛している、レハト」
静かに涙を流すレハトの瞼に、そっと唇を落とす。
彼女が俺だけを見て、俺だけを愛してくれるのなら、それでいいのだから。
かもかて、ダンマカの二次創作サイト。
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