「遠路遥々お越しくださり、ありがとうございます、渉外官様」
長時間揺られ続けた 兎鹿車から降りると、にこやかな雰囲気を纏った男が近づいてきた。
身なりのいい服装に、品のある佇まい。おそらく、この男がこの地の領主だろう。
「こんにちは。あなたが領主でしょうか?」
「ええ。ここを長年納めさせていただいております、ミネタ家のものでございます」
「そうですか。私は国王よりこの地の視察を命じられた者で、ユージと申します。本日からしばらく御厄介になりますので、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。大したもてなしはできないかもしれませんが、誠意を尽くさせていただきます」
握手を交わす相手を気取られぬように観察する。
愛想のいい男だ。目つきや声の調子に違和はない。
だが、人と言う者は簡単に自身を偽れる。優しいと評判の人間が裏では虐殺や拷問を好んでいた、という例も聞いたことがある。
まあ、それは極々まれなことだが、税金を誤魔化して申告していたり、民を酷使していたりする領主は渉外官になって五年、いくつも見てきた。
先輩諸氏からは決して領主を信用するなと言い聞かせられてきた。初めはそこまで疑いの目で見るのはよくないのではないかと思ったが、意外と腹の底を隠すものが多いため、私も自然と領主には警戒心を抱くようになった。
「門で立ち話をするのもなんですから、屋敷に入りましょう。夕食も用意しているんですよ」
咲いている花々や飾られている置物の解説を聞きながら、庭を歩く。目の前には風格のある屋敷が坐している。なかなかいい住まいだ。これが民の犠牲の元に成り立つものでなければいいが。
領主と夕食をとり、私にあてがわれた部屋でしばし休息を取った。
この領地へは税率の交渉に来た。領主がこの地に見合った税率ではないと訴えてきたので、実際にそうであるのか確かめに私が派遣された。
これから数日街を視察し、領主の主張が正しければ税率をどれほど軽減するかの交渉に入る。領主は自分の意見を認められたいがために良い面しか見せないことがあるので、領主の案内は最初の一日だけと決めている。それ以降は自分一人で街を見て回るつもりだ。
長旅で疲れた体をベッドに横たえながら、今後の予定を頭の中で組み立てる。と、重厚な扉がノックされる音が響いた。
「どうかしましたか?」
開いた扉の先には申し訳なさそうな顔をした領主がいた。
「お休み中のところ、申し訳ございません。さきほど紹介するのを忘れておりましたので、なるべく早い方がいいかと思いまして……おい、来なさい」
領主が背後に声をかける。それにつられるように視線を向けて――硬直した。
領主に呼ばれた男は私の前に立つと、一礼した。
「この街は治安がいいですが、念のため護衛を付けていた方がいいでしょう。渉外官様は夜にも調査をせねばならないこともあるでしょう? ですから、こいつを是非にと思いまして」
領主に促され、男の濃い茶の瞳がこちらに向けられる。
どく、と心臓が大きくはねた。
「初めまして、渉外官様」
威風堂々とした姿。その体系に見合う自信ある立ち振る舞いに、彼は以前とは変わったのだと知らされる。
「俺はこのお屋敷でお世話になっている、グレオニー・サリダ=ルクエスでございます」
――グレオニー・サリダ=ルクエス。
私が決して忘れられない男の名だった。
***
「迷惑なんです、あなたが試合に出られると!」
人気のない試合会場で、男の声が響いた。
荒く息をつきこちらを睨み付ける衛士。その瞳には剣呑な色が宿っている。普段のおどおどとした態度はどこへやら。
鼻で笑うと、その顔に赤みが射す。
「なにが……おかしいんですか」
「それさえもわからないのか? これだから愚鈍なやつは困る」
私の口からすらすらと侮辱の言葉が落ちる。この城に来てから身につけた武器。子どもの私にあからさまに馬鹿にされても反論できない大人たちを見るのは、ひどく愉快だった。
特にこの男、グレオニーをからかうのは楽しかった。初めは馴れ馴れしい態度をとっていたくせに、私が御前試合で勝利を収めると、露骨に避けはじめた。
それが嫉妬からくるものだとすぐにわかった。剣を握ったばかりの私の才能を見るのがつらいのだ。
だから、私はわざと彼に構うようになった。
私はお前などとは違うのだと。
神に愛された人間なのだと。
そう、知らしめるために。
ただの田舎の孤児として貴族達に嘲笑される劣等感をそうして晴らしていたのだ。
今思えばなんて幼稚で醜いのだろうと嘆くが、その当時の私は自分の未熟さを自覚することはなく、ただただ自尊心を守ることで精いっぱいだった。
私のいびりは彼が城から姿をくらますまで続いた。
最後の御前試合で、彼は私に刃を振るった。故意であったのかもしれないし、ただの偶然だったのかもしれない。謝罪に来た彼を拒絶しなければ、答えは聞けたのだろうか。
彼はそのまま姿を消した。城では私が腹を立て処刑を命じたのだとまことしやかに囁かれた。
もしかしたら、それは半分当たっているのかもしれない。私の意志ではないにせよ、彼は寵愛者を害した罪をその身で贖ったのではないかと。
彼の消息不明を聞いた時、罪悪感に苛まれた。
篭りで貴族と隔絶されていた間、私は自身を振り返ることが出来た。偉そうに振る舞うことでちっぽけな矜持を保とうとしたこと、哂われる不快感を彼を嬲ることで解消していたこと。目を背けていたものに気づき、私はそこでようやく己の過ちに気づいたのだ。
謝罪をしようにも彼は行方知れず。悔恨を抱いて私は日々生きてきた。
***
そんな彼が、まさか生きていたなんて。
呆然とする私の態度を不満と捉えたのか、グレオニーは不安そうに顔を曇らせ、頭を下げた。
「どうかされましたか? 渉外官様」
「あ、いえ……」
彼の瞳にはあの頃のとげとげしいものがない。
一貴族として、礼儀を払っている。
もしかしたら。彼は、私がレハトだと言うことに気づいていないのだろうか。
ありえるかもしれない。彼と最後に会ったのは私が未分化の頃。私が女を選択したのは知っているかもしれないが、未分化の面影がほとんどない今の姿を見ても、気づかないのも無理はない。
私は今中流貴族の次女という身分だ。王にならなかった二人目の存在は公にされなかった。結局王位を受け継いだのは存在が知られていたヴァイルの方だ。私の存在を知らせる必要もないのに、無駄に混乱させるのは良くないとリリアノは判断したのだろう。
王になれずとも額の痣は消えてくれないが、化粧や布で隠すことができた。頭に布を巻く習慣を持つ地方出身だと名乗れば、誰も深くは突っ込まなかった。
姓は断絶した家系のものを名乗らせてもらっている。さすがに母がくれた名前を捨てることはできなかったが、ここでは大抵渉外官と呼ばれているし、姓の方しか名乗っていないので、領主も私がレハトという名前である事は知らない。
「……渉外官様?」
気がつくと、領主が気遣わしげに顔を覗き込んでいた。
いけない。考えごとに耽っていたようだ。
「いえ。……なにかありましたら、この衛士さんのお力をかりますね。お気遣いして頂き、ありがとうございます」
「過去に王城で衛士を務めていただけあって、腕っぷしはいいんですよ。きっと貴女様のお役にたつでしょう。部屋の外で待機させておきますから、あとはご自由に」
領主は安堵の笑みを残して、去っていった。
「俺は昼間は部屋の外で待機していますし、夜も隣の部屋にいますから、何かありましたらお申し付けください」
一礼するグレオニー。城にいた頃のおどおどした様子は欠片も見当たらない。領主の先ほどの態度を見ても、信頼されているのは一目瞭然だ。彼はここで己の居場所を見つけたのだろう。
彼には私の正体はばれていない。騙しているのは申し訳ないが、今はまだ黙っておこう。
今すぐ五年前の非を謝罪するのが道理だとは思うが、私にもグレオニーにも仕事がある。初日に険悪な雰囲気になってしまえば、私の調査は行き詰るかもしれないし、グレオニーも領主の信頼を失ってしまうかもしれない。
今は伏せておいたほうがいいだろう。
「……わかりました。これからしばらく町中を歩き回ることになりますが、お付き合いお願いしますね」
「ええ。もちろんです」
グレオニーは柔らかく笑った。
彼のこんな笑顔を見るのは初めてかもしれない。いや、他の者にはこうして笑っていたのは見たことがあったが、私には自虐の滲んだ笑みしか向けたことがなかったのだ。
部屋に戻り、再びベッドに体を沈める。
ぼんやりと天井を眺めていると、先程のグレオニーの笑顔が脳裏に過る。罪悪感が胸を刺した。
「お互いのため、なんだから……」
言い訳のように呟く。
頭の片隅でそんな私を嗤う声がした。
――本当はレハトだとばれて自分の罪に向き合うのが怖いだけのくせに、と。
***
「――さて。そろそろ行こうかしら」
昨日領主に案内されて、この街の雰囲気は大体理解できた。今日からはしばらく単体で行動する。
といっても、私の調査は表向きのものだけれど。本来の調査はそれ専門のものが既に行っている。渉外官の調査は領主の目を欺くためのものでしかない。渉外官 さえ誤魔化せればと小細工をする領主もなかにはいるので、こうした形態になったのだ。一応は調査結果が間違っていないかの確認の意味もあるけれど。
ここの領主の訴えは正当だと判断された。今回はそれを裏付けるための調査だ。
渡された調査結果が合っているかどうか、それを調べるのに専念しなければ。
何度か深呼吸をして握りしめたノブを捻った。
「あ、渉外官様。視察にいかれるのですね?」
扉を開けると予想していた姿が目に飛び込んできた。
事前に心構えをしていたが、やはり彼とこうして向き合うのは気まずいものがある。
昨日は領主が一緒にいたため、彼は後ろの方に控えているだけで殆ど接触がなかったけれど、今日からはすぐ傍で護衛されるのだ。レハトだとばれないように、会話には細心の注意を払わなければ。
「え、ええ。今日は西地区のほうへ行こうと思うの。グレオニー……さんも、ついてきてくださるかしら?」
「もちろんです。西地区というと、工芸が盛んなところですね。今日は日が強いので日傘があったほうがいいかもしれません」
「ああ、いいの。私は日の光を浴びる方が好きだから」
「そうなんですか……」
「さ、早く行きましょう。のんびりしていたら、日が暮れてしまうわ」
客人の役に立ちたかったのか、少し不満そうなグレオニーから目を逸らして、私は玄関へと足を進めた。
西地区は工芸品で有名な地域だ。店や工房を見せてもらったり工芸士から話を聞いたりしたが、例年と同じく栄えているようだ。
こちらは問題ない。領主や事前調査では東地区の農耕地区が日照りで不作と聞いた。明日の様子次第では税率を下げる必要があるだろう。
思ったよりも早く終わったため、切り上げて領主の家に戻ろうかと思ったが、ふと通りがかった
髪飾りに心惹かれて足を止めた。
淡い青色を湛える宝石が埋め込まれた繊細なそれを手に取る。最近は仕事が忙しくてこうした装飾品を買うことがなかった。ここのアクセサリーはあまり市の日でも見たことがない。欲しいが、お金に余裕がない。また次回来ることがあれば、その時にでも買おう。
「……それが気にいったのですか?」
調査中はほとんど口を開かなかったグレオニーが私の手のひらにある髪飾りを見て問いかけた。
「ええ。とても綺麗だなと思って。ただ、今回は視察にきたので、次回にでも買おうと思います」
「そうですか。……すみません、これ、一つください」
グレオニーが店員に声をかけ、懐から財布を取り出す。
「え……グレオニーさん、もし私にだったら、結構ですよ」
「気にしないでください。俺が差し上げたいだけですから」
「お気持ちは嬉しいのですが、これから交渉が控えていますし、領主側の方に金品を頂くのは賄賂になりかねませんので……」
グレオニーにその意図はなくとも、見る人間が見ればそうとられかねない。今までも贈り物をしようとした領主にそう断り続けてきた。
グレオニーははっとしたように目を開くと、申し訳ないと頭を下げた。
買えないのだからこれ以上店を冷かしているのもよくないだろうと領主の家に戻ることにした。
「あれ、グレオニー?」
道を歩いていると、明るい声が耳に触れた。
子どもたちが私の背後にいるグレオニーに親しげに駆け寄った。
「ああ、お前たちか」
「グレオニー、今から剣の稽古してよ! 僕、あれから頑張って特訓したんだよ!」
「悪いな、今仕事中だから。また今度な」
「えー、この間もそういってたじゃんか」
「今度、休みもらえたら付き合ってやるから。我慢しろ。な?」
子どもたちは不満そうに頬を膨らませたが、グレオニーが頭を撫でてそう言うとすぐに笑顔を浮かべる。その様子から彼らがとても親しいのだと察することができた。
絶対だからなと声をあげながら、子供たちは去っていった。
「……申し訳ございません、渉外官様」
「いいえ。あなたは随分子どもたちに好かれているんですね」
「好かれているというか……同じ子どもとして見られているだけのような気もしますがね」
苦笑するが、その声はとても穏やかだった。子ども達がグレオニーを好きなように、グレオニーもまた子どもたちを大事に思っているのだろう。
もし、私がひねくれず素直になれていたら、あの子どもたちの様にグレオニーと親しくなれていたのだろうか。
後悔と寂しさが胸をつき、私はその考えを振り払うように、再び歩き始めた。
***
東地区の調査は問題なく終わった。領主の主張通り、雨の降らない日が続いたせいか、実りが悪い。西地区は平年と変わらないが、東地区を鑑みて少々税率を下げたほうがいいだろう。
ずきずきと痛む足をひきずりながら、私は歩を進める。先ほど農家の話を聞こうとあぜ道を歩いていた時に足を滑らせたのだ。どうにか転ばずにはすんだが、その時に足首を痛めてしまったようだ。
昨日と今日で蓄積した疲労も手伝って、今すぐにでも休みたかった。
「渉外官さま、お辛いのですか?」
背後にいるグレオニーが心配そうに声をかけた。
平常なふりをしていたが、疲れているのを勘付かれたらしい。仕事柄自分を偽るのが得意な私の演技を見破るとは。意外と観察眼が優れているようだ。
「いえ。さきほどの農家の人々の話を聞いたせいでしょうか、少し気が滅入っているだけですよ」
そう誤魔化すが、彼は納得がいかないようだ。私の前に立ちふさがったと思うと、急に屈んで背中を向けた。
「え……グレオニーさん……?」
「乗ってください。無理はしないほうがいいですよ」
背中におぶされ、というのだろうか。
私はびっくりして首をふった。大した怪我でもないのにおんぶだなんて子どもみたいなこと、できるわけがない。
「結構です!」
「ご遠慮なさらずに。俺は鍛えているので、あなたを担いでいくのなどわけないですから」
「そういう問題ではありません!」
グレオニーは不思議そうに眼を瞬かせていたが、ふと合点がいったかのか頷いた。
「ああ。そういうことですか」
その声と共に、私の視界が揺れた。それと同時に訪れる浮遊感。すぐそばで、彼の息遣いが聞こえる。
これはまさか。
「申し訳ございません。貴族様をお運びするのはこちらの方がいいですよね」
頭上から振ってくる声に返答ができないほど、私は硬直していた。間違いない、私はグレオニーに横抱きにして抱えられている。
グレオニーは沈黙を了承ととったのか、私をしっかりと抱えるとすたすたと歩き始めた。
「グ、グレオニーさん! おろしてください、自分で歩けます!」
ようやく抗議の声をあげるが、降ろす気配はない。
「グレオニーさん!」
「……無理をすれば、怪我が悪化してしまいますから」
ちらりとこちらを一瞥したグレオニーに、言葉が詰まる。
足の怪我に気づいていたのか。
「その程度の怪我なら、しばらく安静にしていればすぐに治ります。俺は主に貴方の護衛を任されています。その怪我を負わせてしまっただけでなく、悪化させたとなれば、主に向ける顔がありません。ですから、どうか我慢して頂けませんか?」
真剣みを帯びたその言葉に、それ以上抵抗する気は削がれた。
私が頷くとグレオニーはほっと安堵のため息をこぼした。
「脅すようなことを言って申し訳ございません。ですが、渉外官様は女性ですから、その分心配なのです」
「……いえ。こちらこそ、ご心配おかけしてすみません」
それからはどちらも言葉を発しなかった。
私は落ちないようにグレオニーの服を軽く握り、その腕に身を預けた。
人ひとりをなんなく持ち上げるがっしりとした腕。鍛え抜かれた筋肉に覆われた胸元。未分化の頃は気にしたこともなかったが、彼も一人の男性なのだとこの時初めて強く意識した。
***
医師の診察では私の怪我はそれほどひどくはなかったが、大事をとって一日休むことになった。
暇つぶしに領主に本をかりて部屋で読む。こうしてのんびりと読書をするのはいつ以来だろうか。
物語に浸っていると、控えめに扉がノックされた。
「渉外官様。グレオニーです。部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
「ええ。どうぞ」
入ってきたグレオニーの腕には天地版が抱えられている。
彼はベッドのサイドテーブルに置かれた本を目にして、あっと声を上げた。
「部屋に篭られているので退屈ではないかと思ったのですが……読書中だったんですね。お邪魔して申し訳ございません」
そう言って引き返そうとする彼を慌てて引き止める。
「本にも飽きてきたところだったんです。グレオニーさんが来てくれて、ありがたかったです」
「なら、よかった。あの、俺あまり強くはないんでつまらないかもしれませんが、一戦、お願いします」
申告通り、彼はお世辞にも強いとは言えなかった。だが、私も弱い方だ。ぎりぎりで勝てて、ほっと胸をなでおろす。
「やはり、渉外官様はお強いんですね。まったく歯が立ちませんでした」
「そんなことないですよ。だって、ほら、ここ危うかったんですから」
下手をすれば形勢が逆転していただろう箇所を指を指すと、グレオニーはなるほど、と感嘆の声をあげた。
「あともう少しで勝てていたかもしれないんですね」
「ええ。次はグレオニーさんが勝つかもしれませんね」
駒を定位置に戻せば、彼は楽しそうににっと口角を上げた。
「次こそは、負けませんよ!」
「こちらこそ、また勝たせてもらいますよ」
私が勝ち星を挙げることができたかと思えば、次戦では彼が勝利を収める。二人の実力は互角で、駒を打つのが楽しかった。
「もうこんな時間なんですね。長いしすぎました。そろそろ夕食の時間ですね」
気がつけば日がとっぷりと暮れていた。
「……懐かしいなぁ」
ぽつりと呟いた言葉に、片づけをしていたグレオニーの手が止まる。
「子どもの頃、こうして日が暮れるまでよく遊んでいたんですよ。母に怒られるまで、ずっと友達と走り回って」
「……渉外官様、子どもの頃は活発だったんですね」
「意外ですか?」
「はい。渉外官様はとても落ち着いておられますから。今のお姿からは想像ができません」
「ふふ。これでも幼馴染にはじゃじゃ馬呼ばわりされていたんですよ。チャンバラも好きだったから、御前試合にも――」
つい出してしまった単語に、はっとする。
「渉外官になって、城に入れるようになったら御前試合にも興味を持ちまして。よく見学しているんです」
不自然ではなかっただろうかと内心冷や汗をかきながら、グレオニーの顔を盗み見る。彼はこちらを見ておらず、駒を片付けていた。
「御前試合ですか。懐かしいな、俺、試合にいた時によく出ていたんですよ」
「……そうなんですか。グレオニーさんのことですから、きっといい成績を収められたのでしょう」
「それが全然だめで。才能なかったんですよね、俺。剣を握り始めてから数か月の人にもコテンパンにやられる始末だったんです」
一瞬、息が止まった。
彼の言う始めて数か月の人とはきっと私のことだ。私の存在は箝口令が敷かれていたため、濁しているのだろう。
「渉外官様が城に来たのはここ二三年でしょう? 俺、城内であなたを見たことがありませんし」
「そうですね。……グレオニーさんが城を出たのはいつごろですか?」
「五年前です」
白々しい会話だ。演技する自分に嫌悪がよぎるけれど、仕方ない。彼にはまだ正体を知られるわけにはいかないのだから。
「でもよかった。あなたにあんな無様な姿を見られずにすんで。俺、あの時とても情けなかったですから。今もそんなに恰好はついていませんが」
「そんなことない!」
口から飛び出た叫びに、自分自身も驚いた。
目を丸くするグレオニーの視線を受け止めることができず、目線を逸らす。
「グレオニーさんの過去は知りませんが、少なくとも今はとても素敵だと思いますよ」
過去のグレオニーだって、自虐するような情けない姿ではなかった。彼はなかなか成果を出せなかったが、それでも諦めずに御前試合に出続けたではないか。
情けないのは、格好悪いのは、そんな努力する人を嗤う人間だ。あの頃の私がまさにそれだ。
「……渉外官様にそう言って頂けて、嬉しいです」
破顔した彼はありがとうございます、と頭を下げた。
***
領主との交渉は思ったよりスムーズに進んだ。領主の訴えと先に調べた調査員の報告に間違いはなかった。そのため、税率を下げる方向で話は進んだ。もし報告 が事実であればどれくらい下げるか、おおよそは決めていた。私が提示した税率を領主はすんなりと飲んだため、予定した時間よりも早く終わった。
長引くようであれば後数日滞在するつもりだったが、これなら明日にでも帰れるだろう。
「渉外官様、これから時間がありますか?」
交渉を終えて部屋に戻ろうとしたとき、グレオニーが問うてきた。
「鳥文で報告を送ったら時間がありますが……」
ふと、先日声を荒げたことを思い出し、彼の顔から目を背けてしまった。
けれど彼はそんな私の態度を気にした様子もなく、嬉しそうに言葉を続けた。
「よかった。もしよろしかったらですが、これから街に行きませんか? 東地区の方でこれから雨乞いの儀式があるんです」
昔住んでいた村でも雨乞いをすることはあったが、それは厳粛なもので彼のように楽しげに語るようなものではなかったはずだが。
「あ、儀式とはいっても、祭りのようなものなんです。神官が祈るのではなく、人々が思い思いに踊るようなもので」
「へえ。楽しそうですね」
「でしょう? 滅多に開かれませんし……渉外官様は明日帰られるんですよね?」
明日帰るということは、グレオニーとも明日でお別れということだ。
「……そうですね、せっかくですから見に行きたいです」
「よかった。では、行きましょう」
ぱあと顔を輝かせたグレオニーに連れられ、私は西地区の方へと向かった。
彼の言った通り、そこには雨乞いをする厳格な神官はおらず、街人たちが音楽に合わせて愉快に踊っていた。村でのものとは大違いの雰囲気に、私の心も弾んだ。
「渉外官様、よろしければ踊っていただけませんか?」
一瞬躊躇したが、差し出された手を握る。
彼は嬉しそうに顔を綻ばせ、私の手を引いた。
音楽は街の楽人たちが奏でている。あちらこちらで踊りを繰り広げる人々は老若男女様々だ。
舞踏会で踊っていたのとは違う、ただ思う様に体を動かす精彩さを欠いた踊り。けれどそれは人々の飾ることのない喜びや活気に満ち溢れていた。
くるくるとグレオニーの手を握りながら、あちらこちらへと踊りまわる。足は先日休んだためか、すっかり治っており、支障なく動くことができた。
「……そろそろ、休みましょうか」
グレオニーのその言葉で休憩をとることになった。
まだ踊っていたい気持ちはあったが、動きを止めてみると意外と疲れていることに気がついた。
露店で買った果物のジュースを手に持ち、活気の溢れる輪から抜け出す。
「疲れたでしょう? 少し静かなところでいきませんか?」
連れてこられたのは人気のない森の中。微かに人々のざわめきが届くが、辺りに人の姿は見当たらない。
熱気に充てられたせいか、私はどこかふわふわと浮いた感覚を味わいながら、彼の後についていく。
「喉が渇いたでしょう。ここにはもう俺しかいませんから、歩きながら飲んでも大丈夫ですよ」
大分喉が渇いていたので、行儀が悪いと思いながらもその言葉に甘えてジュースに口づけた。
「……ここまで来たら、大丈夫かな」
呟いたグレオニーは近くにあって木の元に座り、私に手招きをする。近づくと彼は私が座る場所にハンカチを敷いてくれた。
「貴族様をこんなところに連れて来て申し訳ございません。でも、どうしても渡したかったから……」
彼はごそごそと懐を探り、小さな包みを取り出した。
はい、と説明もなく渡された包みを開くと、先日の髪飾りが現れた。
「あの時は交渉前でしたけど今はもう終わりましたし、誰も見ていませんから……もらってくださいませんか?」
グレオニーの言葉に、ぴたりと動きが止まる。
そうだ、交渉はもう終わった。もう明日帰るだけ。だから、私の正体がバレても支障はないだろう。
このまま黙ったまま彼を騙してもいいのだろうか? こちらを気遣って優しくしてくれる彼をこれ以上欺くのは躊躇われた。
黙ったまま俯いた私の手から髪飾りをとり、グレオニーはそれを私の髪につけた。
「やっぱり。想った通り、よく似合います」
「……グレオニーさん」
言わなければ。私はあなたが憎んでいるレハトだと。
けれど、こうして微笑む彼を目の前にして真実を告げる勇気は持てなかった。もう二度とこの笑みが見れなくなるのが怖かった。
「渉外官様はお綺麗ですから。周りの方々は女性を選んだことを喜んだんじゃないですか?」
彼が私の髪を撫でる。初めは髪飾りのついた横髪に触れていたが、それがやがて前の方へと移動する。
「……俺は、何故女性を選んだのかと思いますけれどね、――レハト様」
その言葉と共に、額を隠していた布が取り払われる。
額に冷たさを感じたと思った瞬間、私は押し倒されていた。
状況を飲み込めず呆然とする私を見下ろし、彼は嗤う。その瞳はあの頃と同じ、憎悪に濡れていた。
「な……気づいて……」
「俺が、あなたに気づかないと本気で思っていたんですか? 随分と楽観的なんですね。あれほど憎んだ相手なんて、一目見ればわかりますよ」
逃げ出そうともがいた私の手は簡単に地に縫いとめられる。暴れる足には構わず、彼はうっそりと笑んだ。
「あの頃は到底貴方には叶わなかった。けれど、今は違う。あなたはこんなにも弱くなり、後ろ盾も失った。今、あなたが姿を消しても、騒ぎ立てるものはいないでしょうね」
戦慄が走る。恐怖でじわりと涙が滲んだ。
彼は、今でも変わらず私を憎んでいる。そして、害を成そうとしている。
「で、も……領主……が」
「そうですね。あなたが突然消えれば、主は困るでしょう。疑いの目を向けられるかもしれません。けれど、もう俺には関係のない人ですから。まあ、あなたの死体が出ない限りは、うやむやになるんではないですか?」
他人事のように彼は言う。
かたかたと震える私の頬を撫で、目を細めた。
「あなたと再会した時は何故男を選ばなかったのかと憤りましたが……今は女を選択してくれてよかったと思っていますよ。おかげで、こうしてあなたを捕まえることができたんですから。……ああ、これで俺の長年の願いが叶うと思うと嬉しくて仕方ないですよ」
声をたてて笑う男の目には狂気が宿っている。
私はそんなグレオニーを、己の命運を握る男を、怯えながら見上げることしかできなかった。
かもかて、ダンマカの二次創作サイト。
恋愛友情憎悪殺害ごっちゃにしておいています。
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